嬉しかった出来事

先日、1年も前の私のブログの記事『バチスタとは』に、心臓外科のスーパードクター、米田正始先生からコメントをいただきました。

ブログに目を留めてもらえるだけでも幸運なのに、コメントまで書いてくださって、これはもしかして夢??とか思ったり、ただただ恐縮で、プチパニックを起こしそうになりましたcoldsweats01

本当に嬉しい出来事でした。

ちょっと覗いてみようという方は、こちらです。

http://ririko23.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-2211.html

・・・・・・・

米田正始先生は、メディアでも何回も取り上げられて、超有名な先生なんですが(ハンサムですlovely)、MNJ(マルファンネットワークジャパン)のアドバイザーもされているそうです。

忙しい中、患者のことを考え、より良い情報を求めて、日々努力をされています。

その姿勢に患者側として、本当に尊敬に値する、素晴らしい先生だと思いました。

先生のホームページは、心臓の病気をはじめ、心臓手術に関することが、とても詳しく、わかりやすく解説されています。

マルファン症候群のページも、とても充実していて驚きました。

身内や知人に、心臓手術などの問題が起きた人、のみならずどんな人でも、いろいろ勉強したり、最新の情報を知ったりすることが出来るので、オススメのページです。

できたら、全ての開業医や医学生などにも、是非とも見ていただきたいところです。

←左にもリンクさせましたが、一度覗いてみる価値大です。

心臓血管外科情報WEB  http://www.masashikomeda.com/

いつ、どこで、誰が、心臓の病気になり、手術をするハメになるかも知れません。

そんな時、とっても為になり、役立つ、情報のページです。

お時間のある方は覗いて、いざって時の為に、記憶に留めておいてくださいね。

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マルファン症候群の出産

先日、3ヶ月に一度の、婦人科受診の日でした。

半年に1回、がん検診をしています(ややこしい細胞を持っていますのdespair)。

でも、その日は検査はなく、先生と雑談して、210円也でしたhappy01

ヨボヨボ爺さん先生とか、新米ブスっと先生なら、半年に1回の受診にするんだけど、尊敬する先生だから、足繁く通いますlovely

この先生目当ての患者さんはとても多く、予約なのに、かなりの待ち時間を要します。

それでも会いに行きたいと、皆が思う先生なので、一人ひとりの診察時間が、非常に長くなるのです。

今日も2時間以上も待たされました。

『やあ、○○さん、お待たせー。』

笑顔で迎えてくれる先生。

長く待って眠くなってても、シャキっと目覚めます。

婦人科なのに、私の身体全体を気遣ってくれます。

大抵、マルファンの話や、深部静脈血栓症の話です。

先日は、ちょっとショックな話がありました。

『いやあ、こないだねぇ、ショックな話を聞いたんだよ。僕の(担当した)お産が終わった後のことなんだけど、別の医師の患者が、また、急死してしまったんだよ。』

『えーっ!!』

数年前に同じような話を聞いて、とてもショックを受けた私。

それが、またもや起こってしまったという事実。

解剖して検査をしてみたら、大動脈が破裂していて、いろいろ調べてみたら、その人はマルファンだったのではないか、ということにたどり着いたというのです。

一日何人もの人が出産をする中で、この人はマルファンじゃないかな?と、医者が事前に判断するのは、とても難しいことです。

この先生は私と同じ年。

私がマルファンであると聞いて、マルファンに関心を持って下さり、いろいろ婦人科そこのけで、体中の症状を尋ねてくれます。

あれ?何科を受けてるんだっけ?と思うこともしばしば。

以前、この先生の担当で、マルファンだとわかっている人は、数人だと聞きました。

自分がマルファンであると、自覚すらしていない人が、本当にたくさんいるのではないかと、今回は実感しました。

出産は健常者の人であっても、命がけで産むという表現があるとおり、決してたやすく、出来るというものではありません。

ですから、マルファン症候群の人の出産は、まず、大動脈の状態、膨れ具合などを調べて、慎重にしないといけません。

出産の時の『いきみ』は、かなり血圧が上がり危険です。

それを赤ちゃんが出てくるまで、何度も繰り返し『いきむ』ので、脆い血管は、とても耐えられるものではありません。

大動脈の状態が、出産に耐えられる状態ではなかった場合(医者の判断によりますが、40ミリを超えていた場合はおそらく無理でしょう)、諦めざるを得ません。

リスクがとても大きいからです。

運よく出産が認められた人は、それでも普通の人よりはリスクが高いので、気をつけなければなりません。

現在は、マルファンということが事前にわかっていたら、自然分娩ではなく、帝王切開にて出産する方法がとられています。

病院側も、事前にマルファンであると把握していたら、最善の方法で出産に取り組んでくれるはずです。

私達の時代には、知らずに産んだという人が結構多いです。

そして何もなかった人は、私も含めて運が良かったのかなぁ。

今回、亡くなられた人は、マルファンだと誰も気づいていなかったようです。

なかなか赤ちゃんが出てこなかったのか、お腹を押して出そうと試みられ、その時異変が起こりました。

普通の出産でも、なかなか出てこない時は、お腹を、馬乗りになって押すことがある、と友達に聞いたことがあります。

『いきみ』と押しの二重圧迫。

普通の人でも危険ですよね。

・・・・・

私が耳にしたこの突然死。

数年で2件、ということは、全国規模で行くと、一体何人の尊い命が、失われてしまったのでしょう。

統計をとってはいませんが、ちょっとショックなお話でした。

まだまだ、マルファン症候群を知らない人がたくさんいます。

知らずに失ってしまった尊い命。

残念でたまりません。

一人でも多く救えますように、周知活動はとても大切なものだと、改めて感じました。

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マルファンの気持ち

突然、マルファン症候群の告知を受けて、マルファン人になった人。

自分の人生に制約ができ、改めて人生を見つめなおした時、普通の人とは違う、『死』というものを、いつも間近に感じて、生きていかなければならない恐怖。

その恐怖を人生が終わるまで、背負い続けて生きていかなければならない宿命。

本当に大変ですね。

これは個人差がありますが、結構、自暴自棄に陥ってしまう人が多いと思うんです。

だから一時的に、うつ病になってしまったり・・・。ちょっと攻撃的になってしまったり・・・。

病気を背負うだけでなく、精神的なダメージも、とても大きいものがあります。

でも、その精神的な闘いの中で、少なからず、今のうちにできることをしたいとか、死んでもいいから、したいことをしたいとか、自分自身で答えを見つけていく人が多いんですよね。

もちろん誰も、今すぐ死にたいとは、絶対思わないと思います。

口では呟いてしまったりするけれど、本当のところは、『生きたい!』と、皆思っているはずです。

これが、マルファン症候群の人が、ポジティブな人が多いのではないか、といわれる所以かなと、私は思ったりします。

ところが、症状があまり出ていない、見た目も健常者と、ほとんど区別がつかないマルファン人は、告知を受けてしばらくすると、錯覚を起こすんですね。

自分は全然平気かも・・・とか。マルファンではないのかも・・・とか。

不安を煽っているのでは決してありませんが、本当にマルファンならば、果たして平気かどうか・・・。

マルファン症候群という病は、自然に治るものではありません。

症状の出方も人それぞれ、まちまちです。一生何にも、症状らしい症状が出なくて終わった、と言う人も、過去にもしかしたら、いたのかもしれません。

でもやはり、マルファン症候群であろうと診断された方は、遅かれ早かれ、何らかの症状が出てきています。

マルファンにとって一番怖いのは、やはり、血管症状の大動脈解離、破裂を起こしてしまう事なんです。

ある日突然、命が危険にされされる。

生と死の間(はざま)を、否応なく彷徨(さまよ)わさせられる。

なんと因果な病気でしょう。

そして、何かがあって、再び自分がマルファンであったと自覚します。そうやって後悔している人がたくさんいます。

もっともっと気をつけていれば・・・。

後悔もできず、あっという間に人生を終わってしまった人は、遺された周りの人が後悔します。なぜ、気づいてやれなかったんだろう・・・と。

命の保障なんてのは、持っている人なんていませんよね。

だから私は、自分の人生だから、やりたいことをやればいいと思うんです。

精一杯生きるっていうことは、そういうことじゃないのかなぁ・・・と。

ものすごく気をつけていたつもりでも、脆い血管は、自分の意思とは関係なく、突然破けたりしちゃうこともあるんです。

かなり矛盾しているかもしれませんが、やりたいことをやればいいけど、ただひとつ、無茶はしないで欲しいんです。

もちろん無茶をしたら、よけいにそのリスクは大きいはずなのです。

だから、決して無茶だけはしないで欲しい。

マルファンであるということは常に、心の隅に置いといて、無茶をせず、頑張って生きて欲しいなと思います。

マルファンに生まれたからといって、決して不幸ではありません。

病気を通じて知り合った人が、全国にたくさんいます。顔や本名も知らない人も多いのですが・・・。

取り留めのない話に花を咲かせ、その中から笑いと希望を貰い、不安でいっぱいになった心を、生きる勇気と喜びにかえて、たくさんたくさん詰め込んでいく。

ああ、幸せだなあ~。ありがとう。

『幸せだなあheart04』と素直に感じられる心。

マルファンという病気になったから、味わえた気持ちですhappy01

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症状の違い

マルファン症候群と一口で言っても、本当にたくさんの症状があるんですね。

その重い、軽いの症状の出方は、多種、多様で、今も統計をとって、データを集めている段階という状態ではないでしょうか。

目に強く出てしまう人(水晶体偏位や亜脱臼、強度近視)、整形的に強く出てしまう人(側湾症、ゆるい関節)、そして血管に強く出てしまう人(大動脈の拡張や解離、大動脈瘤、弁の閉鎖不全)、まだまだ、いろいろあります。

その中で、比較的、症状が『軽い』という人もいます。

軽いというのは、症状の出方が緩やかというか、中高年になるまで、あまり顕著な症状がでなかったという人もいるので、そんな人たちのことを言うのかなと思ったりします。

私自身もその部類に入るかな?

その、重い、軽いの差はどうして生まれるのか、今もって解明されていない段階なのですが・・・。

その中でも、命に関わる血管の症状に関しては、お医者様達の考えによると、どうも血圧に関係があるかもしれないのでは・・・と。

血圧が高いと、血管にかかる圧力が大きくなり、解離を引き起こしやすくなるのではないか・・・ということで、なるべく血圧を上げないようにするのが望ましいといわれています。

降圧剤を飲むというのも、ひとつの方法ですが、若いうちから予防的に薬を飲む、ということには、抵抗がある人は少なくありません。

しかし、かといって血圧を上げないで、毎日をボーーっと過ごせる人なんているのでしょうか・・・?

来る日も来る日も、何もしないで、ダラリダラリ・・・。
よけいに血管が脆くなるような気がしませんか?

だからかどうかわかりませんが、最近では、身体を動かしている方がいいということで、激しい運動はもちろんダメですが、適度な運動は、むしろやった方がいいとさえ言われるようになりました。

18年前、ほとんどの運動を禁止され、走ってもダメだと、神経質になって止めていた息子ですが、年月が経って大学を卒業する頃には、医者の見解、方針なども変わってしまいました。

『今日からスキューバダイビング以外は、何をやってもいいですよ。今のうちに、したいことをしておきなさい。それで、病院へはもう、来なくていいですよ。何かあったら来てください。』

『えっ・・・。』

この言葉は、嬉しい反面、悲しくもありました。

何をやってもいい・・・これは戸惑いを感じました。

今まで運動らしい運動をしたことがない息子が、一体今から何ができるっていうんだろう・・・。

そんな親の心配をよそに、病院嫌いの息子は、したいことが出来ることを、素直に喜んでおりました。

ここ数年、定期検診は行かないものの、マルファンであるという認識は、いつも根底にあるだろう息子。

時々、心臓の痛みや不整脈が起こると、たちまち、不安は蘇ってくるようで、年に一度(あるかな?)ぐらいは、病院に駆け込んでいるようです。

不安はつきませんが、ずっとずっと、症状が進行しないことを祈りたいです。

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マルファンに生まれて その3

その2を書いてから、1年半も経っているので、その3なんて言っても、ピンとこないねcoldsweats01

私は、4人兄弟の3番目に生まれました。

そしてただ一人だけ、マルファン症候群という病気に、生まれついてしまいましたdespair

もちろん結婚して、子供を生んでからマルファンだと知ったのですが、子供の頃は、姉や兄の身長をいつの間にか追い越してしまっていて、なんでかなぁと思っていました。

姉、兄 弟の3人と私は、全く別の遺伝子を受け継いだかのように、違っていました。

3人は3人とも、幼稚園や小学校では背が低く、一番前で写真に写っています。

ところが私は、当然、一番後ろです。同級生とは思えぬ頭の飛び出しぶりbearing

両極端に違っていました。

『なんで、この子だけは、こんなに縦にばっかり伸びちゃうんやろねえ。』

母が近所の人と会話をしているのを、ブスっとした顔でいつも聞いていました。

5歳も歳が離れた姉の洋服は、次の年になるとすぐにおさがりとして着せられ、たちまちおさがりできないぐらい、追いついてしまいました。

3人は皆、高校生でグーンと伸び、身長は標準になりました。

私は中学生で170センチあり、その後バレーボールをしてから、また少し伸びました。

自分は兄弟とちょっと違う、と気づいてからは、なにか、家族の中でいつも、疎外感を感じていました。

親は親で、たいそうな病気とは思っていなかったけれど、どこかおかしいとは感じていたように思います。元気なんだけど、どこかおかしいとか・・・。

そして、兄や弟は、やはり女としては大きな妹であり、姉であることが、世間にちょっと恥ずかしいという気持ちを、持っていただろうということが、感じ取られました。

特に兄は、小学生のうちに追い抜かされて以来ずっと、妹に見下ろされていたので、おもしろくなかったと思います。

小学校ではきっといじめられるというか、バカにされていたのではないかと思います。

一度だけ、私のことで学校でみんなに笑われたと、母に言っていたのを聞いて、悲しくなったのを覚えています。

そんなことがあって、私は兄とはあまり口をきかなくなりました。

弟とは10歳も歳が離れていた為、小さい弟と大きな私なので、病院に連れて行くと、私の子と勘違いされることが多く、ちょっと嫌でした。

弟は最終的に私より、ほんの少し背が高くなりましたが、やはり一緒に歩くことを嫌がりました。

そんな感じで私は、兄弟とは仲間はずれといった感が強い、暗く寂しい時代があったのを覚えています。

そんな頃いつも思っていたのが、『なんで自分だけ、こんな醜い身体に生まれたんだろう。』ということです。

いくら食べても太らなくて、骨ばった細長い身体、その骨があちこちで少し変形している。

体育の時に、半袖で手を横に伸ばすと、左手がまっすぐにならないのが目立つから、とても嫌だった。

細長い足は、まっすぐ立っていても、気を抜くと膝の部分が、前に曲がるのが普通なのに、後ろへ曲がろうとする。横から見ると、反対に反っている。

みんなが見てどう思っているだろうと、思春期の頃は本当に辛かった。

お茶碗を持っていたら、親指の関節がずれて、落としてしまったり、普通に歩いているのに、突然、足のくるぶしあたりの関節がずれて、つまづいたり、こけてしまったり。

なんでもないことだけど、たいしたこともないことだけど、妙に悲しかった記憶があります。

恥ずかしいsign01とても恥ずかしいsign03・・・。

この感情は、大人になって、おばちゃんになっても、未だに抜け切らなくて、人一倍、人の目を気にする性格のまんまです。

自分がこんなに恥ずかしい思いをしたのだから、兄弟もきっと、私のことをからかわれて、恥ずかしい思いをしたのだろうなぁと、しみじみ、今になって思います。

思春期の時は、マルファンということがわからなくて、誰も私の味方をしてくれるものがなく、本当に根暗な時期がありましたが、過ぎてしまえば、何のことはなかった。

暗い性格のようで、ノー天気なO型の私だから、やっていけたのかなぁ。

隣の区まで歩いて、プチ家出もしたことあるし。smile

歩いているうちに、死にたいとか、消えたいとか言う気持ちは、どんどん流れていって、早く帰らないと、母が心配しているかなって思い、急いで帰ったのです。

美味しいご飯が待っていたので、すぐ、幸せになれました。

今でも人前で裸になる、温泉とかプールとかは乗り気がしませんが、一度きりの人生を思うと、そんなことで悩んでいたら、損だと思うようになりました。

それよりも、もっともっと楽しいことがあるはず。

好奇心も旺盛な私は、そっちの方が気になって、根暗時代を乗り越えられたかなって思います。

今、悩んでいる人がいたら、気にしないで、前に進むことをオススメします。

若いうちにしかできない事って、一杯あるからね。

できるだけ後悔しない人生を送る為に、いっぱい悩んだら、その後はまた、未来に向かって進みましょう。

きっとあなたの為に用意された、素晴らしい人生shineが待っているはずですよnote

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マルファン勉強会

先日、『日本マルファン協会』主催の、勉強会に参加してきました。

定期的に協会が勉強会を開いて、マルファン症候群について、いろいろなことを教えてくれます。

マルファン症候群の当事者はもちろんのこと、その家族、あるいは知り合い、そして医療関係従事者など、マルファン症候群について知りたい、勉強したいと思う人は、どんな人でも参加できます。

学生の頃、勉強というものが苦手だった私ですが、やはりマルファン症候群である以上、いろいろマルファンに関すること、これから身に起こるかもしれない、マルファンであるが故の症状など、自分で勉強しておく必要があると思いました。

インターネットで調べられることはあるけれど、やはり、同じ病気を持っている人達との交流は、これからの自分の残された人生、そして、同じ病気を持って生まれた息子の為にも、不可欠なものだと思い、勇気を振り絞って、覗いてみることにしました。

マルファンの入門編から、テキストに沿って、いろいろ詳しく教えてくれました。

やはり掲示板などでは語れない、解離や手術を経験した、当事者の生の声が聞けました。

今、不安に思っていることはどんなことか、一番何が知りたいのか、自分の症状は皆と比べてどうなのか、こんな症状もある、などなど・・・。

本当にいろいろ、限られた時間の中で、多くの情報を得ることが出来ました。

その後の交流会が楽しかったのは、言うまでもありません。

今、現在もなお、突然解離をおこしてから、マルファン症候群だとわかる方が、たくさんいます。

ところが運よく助かった人は、その後の人生に、たくさんの制約を課せられ、戸惑われる人も多いです。

でも、今、マルファン症候群だとわかり、戸惑っている人をはじめ、まだわからずに突然死してしまう人を1人でも救おうと、一生懸命活動している、NPO法人があります。

それが、『日本マルファン協会』です。

定期的に各地で、勉強会を開いています。

勉強会の他にも、各地で交流会、親睦会を開いて、マルファン症候群にかかわる人達との交流をはかり、情報を交換しあっています。

とりわけ東海地方は、たくさんの仲間がいて、月に一度は、親睦会を開く予定にしているようです。

1月31日土曜日、午後4時より、マルファンの活動、および親睦会があるようです。

愛知県名古屋市に、協会事務所がありますので、お近くの方は、お問い合わせの上、覗いてみて下さい。

ホームページは、左のリンクにもありますが、ここです。

http://www.marfan.jp/

是非たくさんの、マルファン症候群の人はもちろん、マルファン症候群に関係した人達に、活動を知ってもらい、参加してもらえたらと思っています。

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息子の誕生日

今日は息子の誕生日です。birthday

25歳、おめでとう。o(*^▽^*)o

26年前に、私の腫瘍摘出の際、一生懸命^^、しがみついてくれていたおかげで、私も子育てというものを、人並みに味わうことができました。

ありがとう。(*゚ー゚*)

マルファン症候群という、私からの、マイナスな遺伝子を受け継いで、この世を生きていかなければならなくなったこと。

ごめんなさい。(ノ_-。)

普通の子供のような、青春時代を送れなかったこと、ちょっとかわいそうかなあと思ったけれど、それはそれで楽しかったと言ってくれる。

自分が病気であるということを、時々忘れて、壁にぶつかってから慌てる。ハラハラ、ドキドキの毎日だった。

同じことをしていても、人の何倍も疲れるし、見た目は元気そう、どこも悪くなさそうに見えるので、下手をすると怠けているように見られることもある。

男だから、弱音を吐けない時も多い。

だけど、負けないで、一生懸命、これからも生きてほしい。

病気を背負った分、とても思いやりのある、優しい子に育ってくれました。

母さんは、とても嬉しくて、誇りに思うよ。shinehappy01

いつの間にか、立場が逆転して、私のほうが、心配をかける日々になってしまいましたが、これからもずっと、元気で頑張ってほしいな。

ずっとずっと、見守り続けるからね。wink

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魔法の薬になるか、ロサルタン

不治の病かと言われたマルファン症候群にとって、最近アメリカの学会で発表があった、ロサルタンというお薬。

日本ではニューロタンという名前で、萬有製薬から出ている降圧剤のお薬です。

アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬で、一般名をロサルタンカリウムと呼ばれ、略称ARBといい、ACE阻害薬に近い作用があります。

この薬、なかなかどうして、マルファンのマウスの実験では、かなりの成果を上げているらしいです。

この薬は副作用も比較的少なく、糖尿病や、その他の疾患のある人の降圧剤として、日本でも、大勢の人が服用しているみたいです。

私も2月から飲んでいましたが、残念なことに、夏場異常に血圧が低くなり、断念しました。

私はもともと血圧が低いにもかかわらず、脈が速い為、既にインデラルというβブロッカーを飲んでいます。

そこへロサルタン情報を聞きつけ、主治医と半分喧嘩状態になりながら、飲み始めたのですが、薬にとても弱い私は、半年余りで断念した次第です。

息子や、これからの若い世代のマルファン症候群の人達の為に、少しでもデータを残せたらと思ったのですが、そこに至る前に、血圧が下がりすぎて生活に支障をきたしてしまいました。

血圧が低くない人や、薬に弱くない人にはいいと思うのですが。

・・・・・・・

・・・・・・・

と、去年の11月に、この日記を書いていました。

アップするためには、もう少し情報をと置いていたら、年明けて、体調不良になり入院。

そして、10ヶ月経ってしまいました。

その10ヶ月の間に、アメリカでは治験が進み、ロサルタン(ニューロタン)を服用した、マルファン症候群の子供に、かなりの成果が上がっていると、発表があったのです。

例えば、拡張していた血管の、直径が小さくなったとか、つきにくいとされていた筋肉がついたとか。

服用する薬の量にもよりますが、子供に大きな成果が現れているようです。

本当に日々医療は進歩しているのですね。

とても嬉しいことです。

マルファン症候群にも、明るい希望の光が、見えてきたということですね。

もう少し、さらなる情報が入手できましたら、またアップしたいと思います。

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マルファン症候群とは

いや、遅いよ!って突っ込まれそうな予感・・・。coldsweats01

まず最初に書かなければならなかったのですが、今頃になりました。

・・・・・・・

マルファン症候群は先天性の遺伝子疾患です。

約5,000人に一人という確率で発症し、全国に約25,000人超の患者がいるだろうと言われています。

体の組織を支えたり、力を伝達する働きのある組織が弱いため、 骨格、目、心臓、血管、肺などに症状が出ます。

長い手足、柔らかい関節、側わん症、自然気胸、眼の水晶体の偏位または亜脱臼、大動脈拡張、解離性大動脈瘤、大動脈弁と僧帽弁の閉鎖不全、などの症状が、いくつか現れる結合組織の疾患です。

症状の出方 やその程度には、大きく個人差がありますが、心臓血管に重篤な症状が出る場合、疾患についての知識がなく、適切な治療をしなければ、若くして命を落とすこともあるという病気です。

・・・・・・・

私は、息子が7歳の時に、風邪がなかなか治らないので受診したところ、『息子さんは突然死しますよ。』という、かなりショックな告知を受けました。sad

続いて、『お母さんも心臓の形やら、体型がそっくりですから間違いないでしょう。お母さんからの遺伝になります。平均寿命は30歳です。』と、またしても、地の底までも突き落とされるかの、世にも残酷な告知を受けました。shock

息子は7歳、私は34歳でした。

(30歳の寿命って、もう・・・過ぎてるし・・・。)

その頃は、マルファン症候群という病気は、まだまだ、世間は愚か、小児科以外の先生は、名前さえ知らない先生も多く、かなり情報もありませんでした。

ですから、マルファン症候群のことを、知っている先生でさえ、新しい情報が入ってくるのが乏しく、平均寿命30歳と、教科書通りのことを告知していました。

少々疲れやすい体質だということは、感じ取ってはいましたが、まさか自分が、そして息子が、いつ死んでしまうやも知れぬ病に、侵されているなどとは、夢にも思いませんでした。

ですから、私の死への恐怖はハンパなものではなかったです。

自分が死ぬというよりも、息子が、ある日突然死んでしまうなんてことは、絶対に考えられないことでした。

それをいとも簡単に、告知されてしまったのですから、その日を境に、私のおどおど、ビクビク、過度の心配性の性格は、17年経った今でも、治まることはありません。

幸い、4、5年前にインターネットをつなぎ、マルファン症候群の為に活動してくださる団体を見つけ、正しい情報を得る事が出来ました。

そして、同じマルファン症候群を患う仲間と、知り合うことができました。

いつ自分に、あるいは息子に、血管の解離が起こって、突然、死を迎えなければならないかという恐怖は、今でも変わらずにあります。

が、仲間という支えがあるので、以前とは全然違う、安心感というものがあります。

同じ悩みを持つ仲間と、常に情報交換が出来るということは、とても頼もしく、嬉しいことです。

現在では、突然死を未然に防ぐ為、解離してしまう前に、血管置換をする待機手術も、どんどんいい成績を上げています。

万が一、解離してしまった場合でも、処置が早ければ、緊急手術の成績もめざましい成果を上げてきています。

そして何より、今、注目の薬も登場してきました。

新しい情報はどんどん入ってきています。

マルファンと言われた人も、あるいは自分はマルファンかも知れないと思って悩んでいる人も、一人ではありませんよ。・・・・・仲間になりましょうsign03

マルファンのことを正しく理解してください。仲間とともに楽しい時間を過ごしましょう。

マルファンでない人も、仲間に入れます。happy01・・・・・温かく応援して下さい。お願いします。

全ての、マルファン症候群を患う人の、明るい未来のために。

左の『日本マルファン協会』を、ちょこっと覗いてみてね。

あつかましーーーーいお願いでした。wink

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新しい命

昨日、私のマルファン友であり、いつも何かとお世話になっている方の手術がありました。

無事に成功したと知らせが入って、やっと心が落ち着きました。

マルファン症候群を患っていると、何が一番怖いかというと、やっぱり突然、心臓に近い部分の血管が解離してしまうことなんですね。

解離してしまうと一刻を争うので、解離した状況によっては、命を失くしてしまう危険な病気なんです。

日に日に医療技術も進歩して、不治の病と言われたマルファンでも、事前手術(解離しそうになった血管を解離する前に手術して取り替える)をして、寿命を延ばす事が出来るようになりました。

と、簡単に言っても、手術は手術。

たくさんのリスクがあります。もしかしたらこうかもしれないと、あらゆるマイナス面をズラズラっと書類で並べられて、同意を求められますが、これはじっくり読むと怖くなる。

でも、何とかなるサとさらりと流して、なるべく元気になった自分を想像して、元気になったら、あれもしよう、これもしようと楽しい事だけ考えて、挑んだ方がよさそうです。

わかっているけど、本人はドキドキだったろうなあと思います。

手術中、多分心臓が止められて、人工心肺に繋がれたと思います。終了してまた心臓が動き出した時が、彼女の二回目の誕生日。

新たな人生が待っています。

今までより以上に、元気に輝いてほしいと思います。

 ちょうど、昨日、姪が二人目の子を出産しました。

彼女の二回目の誕生日と同じなので、彼女みたいに、明るく素敵な女性になってほしいなと思いました。

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マルファンである息子 その7

今日は息子の服t-shirtdenimの話。

靴と同様、洋服についてもとても苦労しました。

なんせ肉が付く前にどんどん背が伸びる。子供用のズボンなんてとっくに穿けなくて、小学生から大人用でした。

でも、腰周りが合えばちょんちょろけ、長さが合えばブッカブカ。身体に合う服なんて既製服ではありえなかったです。

洋裁達者な母親ならば、チクチクせっせと縫ったのでしょうが、親指の外れやすい関節持ちの母さんは、手編みのベビー服を編んだきりで、お手上げ状態でした。

何処へ行っても、だんな様より息子の洋服探しをしておりました。

小学校の時から体操服は別注です。細くて長い体操服なんて何処にも売っていないですからね。

私の時は、短いのを我慢して着ていたなあ。かっこ悪かったけれど。

私は、息子が小学4年生位の時に、仕事関係でグアムに行ったのですが、この時あちらの子供用のTシャツが、細くて長くて、息子の体型にピッタリなので感激しました。

ああ、やはり日本製は、日本人の体型に合わせて作られているなあと、つくづく思ったのでした。

今は成人し、大きなサイズでなんとかいけていますが、やはり日本製のものは横に大きくなるので、ダメですね。

GAPとか、airwalkとかが細めで丈が長いのでピッタリです。

ただし、上着のみです。パンツ系はやはり丈が短いですね。 

小学校の卒業式は、だんな様の、ちょっときつくなったジャケットと革靴が、ぴったり間に合いました。

だんな様の身長は176センチ、足は26、5センチです。息子は小学生で並んでましたね。ちなみにだんな様は小学生の時は、150センチほどです。

私と小学生で知り合っていたら、20センチの身長差でした。coldsweats01

よく休みの日になると、はるばる息子の服や靴を探しに、三人で買い物に行きました。

だんな様は洋服でも靴でも標準サイズなので、行った先でスキあらば、自分のモノを物色します。

数時間もかけて、息子と疲れ果てて、仕方なく、コレで手を打とうとレジに行くと、ニコニコ顔のだんな様。

思わしい服が見つからなかった事実よりも、どさくさにまぎれて、ちゃっかり自分の洋服をカゴに入れるだんな様が、無性に腹立たしくなって、帰り道はふて寝しちゃいます。

いつも私達のマルファンには、他人事感が強い人です。

買い物に行く度に、だんな様の服と靴ばかりが増えて、空しいったらありゃしない。sad

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マルファンである息子 その6

息子は7歳の時にマルファン症候群であると診断されました。

息子はその日から突然死を避けるため、一切の激しい運動や競争的運動は禁止されました。

もちろん走ることも禁止です。

わずか7歳で、いきなり走るなと言っても理解できるはずもありません。体育の授業ではほとんど見学でしたが、遊び時間になると走り回って、先生をハラハラさせていたそうです。

体力がつく以前に、運動を制限されてしまった為に、身長が伸びていくんだけど、肉が付かない、力がないと、思春期にはかなり嫌な思いをしたであろうと思います。

小学生の間は、いくら言っても、走り回ったり遊ぶことは止められません。自分で身体の異変を感じたら、自然と大人しくなっていきます。

中学、高校は、もうかなり自分で判断できる歳なので、時々無茶をしないように、念だけ押しときます。

後で知り合いの保護者から聞いたことですが、保健室には入りびたりだったそうで、そんなにしんどい毎日だったのか?と思いきや、半分以上サボタージュではないかと。(>_<)

そうそう、家では一切宿題をしない子だったんだ。

これには私も、私自身、未だ宿題と言う課題が理解できないので、怒れないでいたのだが、中には厳しい先生もおられて、息子は、皆の前で注意をされるのが嫌で、逃げ込んだかと思います。

保護者会で、『今の子は身体が弱く、保健室に入りびたりの子がいます。』と、息子のことを言われているとはつゆ知らず、気付かずに笑っていた、まぬけな母です。

そう、病気を知るまでは、結構スパルタ的な厳しい母であった私も、突然死と言う言葉の重みが常に脳裏にあり、本人が身体がしんどいと訴える時は、全部信じるようにしています。

普段からしんどくても遊びたいという欲が強く、少々のしんどさでは寝込まない子供なので、その子がしんどいと言う時は、必ず何かあるのです。

でも母親だから、それが身体なのか心なのかが大体分かります。

自分の責任においてなら、サボりたい時はサボればいいと思って育ててきました。

他人に多大の迷惑をかける事以外なら、後で自分に跳ね返ってくることを覚悟できるのなら、サボりもOKとしました。

宿題をキッチリすることはとても大事です。

でも、それを絶対しなければ生きていけないというのではありません。

社会的な一般常識さえ、ある程度身につけていたならば、全ての科目を身につける必要などないと私は思うのです。

教科書やテストにでた内容を、全て頭に詰め込んだとしても、性格のいい大人が出来上がるとは限りません。

まあ、社会にでて給料を貰うようになったら、宿題や居残りが嫌だとは言えなくなり、それはきっちりするでしょう。

でないと、クビですもんね。

---で、現在、一年に一回だった検査も、あまり変化がないので、『もう来るな。』と数年前に言い渡され、あんなに運動禁止とか言われたのに、

『スキューバダイビング?はダメやけど、今のうちにせいぜい、好きなことさせなはれ。』

だって!!おまけに、

『なんかあったら来なさい。』 だって!!

どういうこと!

なんかあってからじゃ、遅いんじゃないの?

スポーツだって、一体今から何が出来るっていうんですか?

おまけに、息子は昔から医者嫌いなもんで、私の心配は尽きません。

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母の日を前にして

五月に入りました。

五月といえば、母の日ですね。

でもちょっと、悲しいお話。

人間は皆、お母さんから生まれているので、どんな人にも母親がいるんですね。

残念ながら一度も抱かれることなく、お別れしてしまった方も少なからずいると思います。

婦人科の病院の先生から、第二子を出産中に大動脈解離を起こし、亡くなられた方のお話を聞きました。

『○○さん、君と同じマルファン症候群の娘さんが、亡くなったんだよー。』

『ええっ!!』

『お母さんが僕の患者だけどね、お母さんから手紙がきてね、本当に驚いたよ。』

その先生がいない時の出産だったらしい。

分娩中に解離を起こし、誰もが解離なんて想像もしなかった。

病院で解離したのに、お産の途中でもあり、婦人科の手に負えなかったのか、赤ちゃんだけしか助けられなかったようだ。

亡くなられて初めて、マルファン症候群だと分かり、家族は途方にくれたといいます。

病気のことを、本人をはじめ、先生や家族の誰かが気づいていたら、避けられたかもしれないのに、とても残念です。

コレは3、4年前のことで、決して古い時代のことではありません。

お産って、普通分娩だとかなり、いきむんですね。んーーーーーーーって。何度も。

しかもこの方は第二子目で、一人目は難なく出産しています。

誰でも二人目の方が軽いとかいって、安心して産みますよね。

安心していたから、余計に突然の別れは悲しいです。

顔も知らないその人が、マルファン症候群だったと聞いて、私はまるで自分の身内を失ったかのような衝撃を受けました。

『○○さん、その人に比べたら、君はマルファンでもずっとマシなんだよ。この歳まで生きてるんだからね。』

『そうですね。』

先生の言葉がちょっと重かったけれど、納得しました。

その人も、マルファン症候群であると分かっていたら、もっと万全に出産できたであろうにと、とても残念に思いました。

自分の誕生日が母親の命日であると、それを背負って生きるその子が、どうか周りの人のたくさんの愛情を受け、強く育ってくれることを願いました。

何とか、出産を迎える妊婦さんが、マルファン症候群ではないだろうかと、全ての病院で気がついてくれる方法は無いものかと、日々考えています。

もしどなたか思いついた方がいらっしゃれば、お知らせ下さいませ。m(__)m

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マルファン症候群の遺伝

もう20年近くも前の話になります。

遠い親戚の集まりで、母屋の跡継ぎに子供が出来ずにいることを、年配のおば様、おじ様がピーチクパーチク話しているのを聞きました。

その時私は、既に長男を産んでいたので、それを引き合いに出され、そこの跡継ぎ夫婦の親になるおば様と、おじ様が、『アンタとこはええなあ。』と羨ましそうに言われたのを覚えています。

それをだんな様のご両親は、『せやけど、一人やさかいなあ。』と、なんか嫌そうに答えていました。

『一人でもおらんよりマシや。』 『まあな。』

こんな会話が延々続き、私は目でだんな様に訴えていましたが、だんな様は見て見ぬふりを通しました。

田舎や旧家って、どうしてこんな話ばかりするんだろうと、いつも嫌になっていました。

その母屋の夫婦も、もう50代後半。さすがにもう産めとは言われないにしても、跡継ぎ問題が再度浮上してきて、心が痛みます。

いつまで経っても、一生言われ続けるんですね。

ここの家だけではありません。

『お子さんはまだ出来ないの?』

『奥さんが、仕事をなさってるから出来ないのかしら?』

『早く産まないと、あとあと大変よ。』

『出来にくい体質なのかしら。』

知り合いの夫婦が質問攻めに合っていて、いたたまれなくなって、助け舟を出した事がありました。

その方は、遺伝性の病気をご主人が持っている為、夫婦で話し合って子供を持たない人生を送ることにしたようです。

きちんと話して、理解をしてくれる人ばかりならば話すのでしょうが、やはり何の病気?どんな病気?と興味本位に聞いてくる人が結構います。

そして挙句に面白おかしく、間違った情報と共に、人から人へと伝わってしまうかもしれません。

だから、その夫婦は、とにかく笑って誤魔化すしかなかったのです。

何故か暇なおばさん連中は、とかく追跡調査をしたがりますね。止めて欲しいです。

マルファン症候群も先天性の遺伝子の病気です。

全マルファン患者の75%は、親からの遺伝で受け継がれ、残りの25%の人は、突然変異によりマルファンになっていると聞きます。

親のどちらかがマルファンの場合、遺伝子が受け継がれる確立は50%です。

確率なので二人子供をもうけたとして、二人ともマルファンを受け継ぐ可能性もあれば、二人ともマルファンを受け継がない場合もあります。

そして一番辛いのが、おおよそ10人にひとりの割合で、とても重篤な子供が生まれてしまうという事です。

これはマルファンに限らずどんな病気でもありうることですけど、この世に生を受け生まれたからには、人生を全うするまで命の限り生きぬく。

これが命を与えられた者の使命であると私は考えています。

命の重さなど、判りそうもないほどに小さな赤ちゃんでも、生まれた瞬間から一生懸命呼吸をし、手足を動かし泣こうとしますよね。

全身を使って生きようと頑張っていますよね。

その子が、たとえ重い病気を背負って生まれたにせよ、その子の命はその子の物です。

むやみに親がどうこうできるものではありません。

マルファンに限らず、とても重い障害を背負うかもしれないと判っていても、子供が欲しいと、命を懸けて産もうとする人、また生まれた子を命を懸けて守ろうとする人がいます。

また反対に、自分も障害がある為に、その苦しみをわが子に味わわせたくない、また、満足に育ててあげる自信がないと、子供を断念する人もいます。

どちらも間違った選択ではありません。

どちらもその人達の人生には正しい選択なのだと思います。

ですから、子供がなかなかできない家庭を見かけられたら、余計な詮索はしないで、どうか温かく見守ってあげて欲しいのです。

そして、万が一の障害を持って、生まれてしまった子供さんがいる家庭を、もし見かけられたら、どうかどうか温かい眼差しで見守り、かつ困っていたら手を差し延べてあげて欲しいのです。

この世に生まれた人間の全てが、本来は身内であり、仲間であると私は思っています。

だからこそ、弱気を助け、強気を挫く、真の人間の姿に、皆戻って欲しいと願うのです。

理想論かもしれませんが、一人でも賛同していただける人がいれば幸いです。

どうかよろしくお願いいたします。m(__)m

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マルファンである息子 その5

男の子と言うのは、生まれながらにして、やんちゃに出来ている。息子も然り。

今までにたくさんの怪我をしているが、中でも一時的に片目の視力を失った時は、私自身も目の前が真っ暗になった。

宿題嫌いの息子が、また夏休みの宿題をせずに、こっそり部屋から抜け出して、野球をしているとは気が付かなかった。

前日に宿題をしている途中、友達が誘いに来て、明日するからと約束して遊びに行った。だからその日は宿題をしているはずだった。

夕方の家事で忙しい時間帯、『わーー!!』と言う声と共に玄関に飛び込んできた息子。

この数年前にも、手の親指の骨を折って、同じように、『わーー!!』と泣いて帰ってきた。いずれも私は夕食の準備中だったので、デジャヴーか?と思った。

何事かと走っていくと、『目が見えないー!バットに当たったー!!』

大きく、息子のいるところへそれたボールを、友達が勢いよく振ったバットに、しゃがんでいた息子が、顔からつっこんだらしいと大きい子達は言う。

どうしてそんな事に。息子の記憶には残っていないので、未だに真相は闇だ。

幸い、目は後日、内出血した血がひくと見えるようになったが、瞳孔は今でも開き気味で、しぼりが甘い。

マルファン症候群は細胞をつなぐ組織が脆い。水晶体亜脱臼が起こりやすいので、本当ならもうダメになっていたかも知れないが、バットは運よくプラスチック製だった。

この時私は、マルファン症候群の告知を受けていたが、目に関しての情報はほとんど無く、無知だった。

『うーん・・・。トーフが、落としたら潰れますよね、衝撃で。それをなんとか寄せ集めて、辛うじて元に戻ったと考えてください。』

『トーフですか??』

『はい。一度潰れたものをもう一度くっつけた、みたいな。』

『くっつくんですか?』

『いいえ。だから、みたいな、って。元のようには絶対戻りません。』

『・・・・・・』

『まあ、ものすごく脆いと考えてください。』

わかったようでわかりにくい説明だったけれど、要は今後もし、また同じような衝撃を受けると、もうダメだという事なのかと勝手に解釈した。

しばらくして、朝起きた時、うっすらと光が見え、お母さんの形が見えると言ってくれた時は、涙が出た。本当に嬉しかった。

暫く瞳孔が開いたままなので、屋外ではサングラスをかけていた。

でも、ランドセルにサングラスで登校は、嫌みたいで、片目を瞑って我慢していた。

視力は診察の度に驚異的に回復していって、一年後には何とか1.0は見えるようになって、生活には全然支障がなかった。

息子は元々は視力は1.5だった。

でも将来、乱視や視力低下が起こりやすいと言われていて、現在、視力は落ちてきているが、見えることを感謝して、頑張って欲しいな。

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私の現在の症状

同じマルファンの人には申し訳ないかなあと思う位、現在の私の症状は、症状としては小さく、少ない方かも知れません。

1、目     亜脱臼とかはありませんが、両目が正常眼圧緑内障で、夜に眼圧を下げ

        る目薬をしますが、副作用で目の下にクマがあります。時々痛みます。

2、骨     鳩胸です。この胸骨が大動脈基部と重なる所がよく痛みます。ちょうど胸  

         の谷間なんですが、エコー検査ではいつも苦痛を伴います。

         足のくるぶしの辺りと、手の親指の付け根辺りがゆるゆるで痛みます。

         首は3箇所圧迫骨折していて、思い出したように時々痛みます。

        腰はぎっくり腰寸前をウロウロしています。

3、心臓   大動脈基部の直径が、数年前42から43ミリと言われ、そろそろ手術と言       

        われたのですが、去年は40ミリ足らずとかで経過観察中です。CTとエコ

        ーでは誤差が出るみたいです。

        不整脈(頻脈)の為、インデラル(βブロッカー)を飲んでいます。ニューロ

        タンは、もともと自身の血圧が低い為、低血圧症状がひどく出て半年で打

        ち切りました。

        ずっと昔に僧帽弁逸脱症と言われていますが、逆流は今の所、検査の時

        になるとでていません。

4、その他  全般に疲れやすいのは若い時から変わりませんが、やはり年と共に疲れ

        ない日なんてないのじゃないかという位、夕方になるとぐったりです。

        特に寒い冬と雨の日は弱いです。

        体調が良い時は、マルファンによる細かな症状はあまり気になりません。

        (めまいや立ちくらみ、胸や背中の痛み、頭痛、動悸、息切れ、関節の痛

        みなど)でも、風邪などを引いて体調を崩すと、一気に全症状が現れて、

        立ちなおりがかなり遅いです。        

        

私は10代の頃は、マルファン症候群であると知らなかったため、運動をしていました。

結婚して子供ができるまで、いろいろなスポーツをしました。一番長かったのはバレーボールとテニスです。大好きだったのがバスケットボール。あと、ソフトボールに卓球、ボーリングと何でもやりました。

バレーボールだけはクラブに入っていたので、結構きつい練習もしましたが、今ではいい思い出です。

身体は平気だったのか・・・。病気を知らなかったので結構平気でした。でもよく考えると皆よりバテやすかったし、体力がないと良く怒られていました。

私の場合、血圧がとても低く、じっとして寝ていると余計に低くなるので、運動は良かったのかなあとか、低い血圧だから、運動しても解離しなかったのかなあとか、自分なりの考えですが思ったりしています。

血圧が高かったら、かなり無茶をしていたので、もう既に血管は破れていただろうと思います。

マルファン症候群は、本当に個人差のかなりある疾患ですが、不安に思っていることや疑問など、私の知識の中で、限りはありますが参考になれば幸いです。

自分の人生を振り返り、思いついたことを順次アップしていきますが、何でも聞いてくださいね。お答えできる範囲ですが、頑張ります。

      

                

     

        

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息子の靴物語

息子の靴は32~33センチ位です。

ナイキの靴は小さめなので、実際には30センチ位ですが、なかなか近所では買えません。

予備に買ってある靴を下ろした時点で、また新しい靴を買いに行く予定を立てます。

車で一時間チョイのアウトレットかなあ、ナイキのお店に行き、32~33センチの靴を全て出してもらって履き、金額は二の次で合わせます。

まず、入るかどうかが問題で、合う靴がなかったら後日また出直しです。

デザインや色など選ぶも何もありません。

本当に苦労して手に入れているその靴で、まさか小さな姪っ子を泣かすことになろうとは、誰も想像しませんでした。

今から7~8年前のことです。

当時息子はまだ高校生、姪っ子は3歳位だったでしょうか。

息子が来るのを楽しみにしていた姪っ子ですが、来たよーっと呼ぶと急いで3階から降りてきました。

『○○ちゃーん。』 息子の名前を呼びながら玄関に入るや否や、

『うぎゃー!!わーーん。怖いよう!!。えーーん。』

息子が何かしたのかと思い、急いで玄関に走ると、息子の靴を指差して、ワンワン泣く姪っ子の姿があり、しばらくして、隣の部屋から、首だけ覗いて戸惑う息子の姿が。

僕は何もしていない、無実だと、言わんばかりの、両手を広げた息子の大きな首振りジェスチャーに、思わず吹きだしてしまいました。

小さな子には、この馬鹿でかい靴は、どれ程の怪物が家の中にいるのだろうと、恐怖に感じたのでしょう。

息子も靴だけ見て泣かれるとは、夢にも思わなかったので、驚いたようです。

『この靴は○○ちゃんの靴やよ。怖くないよ。』

そう言ったら、やっと泣き止んでくれました。

 

今年のお正月、その息子の靴物語は、またも笑い話として語られ、小学5年生になった姪っ子は、息子の靴を履いてブカブカと歩いて見せ、皆で笑い転げていました。

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病院通いは辛いっす。

何かと忙しいこの月なのに、先日は婦人科、循環器科、そして昨日は外科と内科と、病院通いは続きます。

定期的に受けなければいけない科と、あちこち痛かったり辛かったりして受ける科と、実にたくさん掛け持ちです。

ほとんど家にいるだんな様のご両親様と、少しでも離れられるので息抜きにはなるのですが、ハッキリ言って病院は嫌いです。

以前の病院では、気が遠くなるほど待たされて、診察室ではものの3分もかからない状態で、帰りに反対に風邪等の病気をもらったりして、最悪の思い出しかありません。

同姓同名が3人ほどいて、呼ばれて入るといきなり先生に怒られ、何が何だかわからず目を丸くしていると、こっそり看護師がカルテを差し替えにきて、先生に謝っている。

いや、私に謝ってよ、というのを我慢して、しばし観察。

先生は、今のは無かった事にしようとしているのがみえみえ。(ーー;)

もともと平和主義の私は、顔はメンチ切っているかも知れないけれど、三度までならグッと耐えます。(仏か?)

この病院は、この先生のおかげで大きくなったようなので、態度がやたらデカイです。でも年寄りにはとても愛想がよく、崇拝されています。何より儲け主義?と言うほどやたら薬を多く出すので、私とは馬が合いません。

おまけに検査結果をしつこく言わないと教えてくれません。毎回血圧、体重、おなか押さえ、足首つかみで終わりです。

次回の予約をパソコンでして押し出しです。

20年ほど通った病院なのですが、数年前に見切りました。

最後の方は、もう通うのが苦痛でしかなく、自分の意思の疎通が、上手く出来ないことにより、かなり落ち込みました。自分をわかってもらえないのは、一番辛いことです。

ベテラン看護師の勧めもあり、勇気を出して転院を申し出ました。

忙しいのを理由に、紹介状を1ヶ月以上待たされました。何度も催促してやっと頂けた紹介状は、○月×日に行くようにと、日にち指定までされていました。はるばる何時間もかけてその日に行くと、何とその日だけ先生がお休みの日だと聞いて、呆然としました。

しかも1ヶ月以上かかって書いていただいた紹介状は、たった8行の簡単なもので、付けられていたフィルムは一番最新の胸のレントゲンで、これならここで撮ったものと変わらないねと言われました。

十数年の大動脈基部の膨れ具合が全くわかりません。データのない一からの出発になりました。紹介状の意味がない。

相性の悪い先生に転院を申し出ると、こんな仕打ちが返ってくるのでしょうか。先生にもプライドというものがあるんですね、きっと。

文句を言いに行く元気はありませんでした。

紹介された病院は、とにかく遠い。高速を使って渋滞がなければ1時間半位で行けるのだが、でも高速に乗れない私は、車、電車、地下鉄、タクシーを乗り継いで二時間半かけて通う。だからとてもしんどい。(T_T)

20数年ぶりに乗った地下鉄では、ラッシュ時の一両目に飛び乗ってしまい、胸を圧迫され、死ぬかもという目に何度も遭い、確実に通院で寿命が縮む気がしました。

そこで再度、自宅近くの国立へ紹介してもらったと言う訳ですが、国立はコロコロコロコロ・・・という位、先生の移動があって、何回同じ話をしなきゃいけないのかといじけます。

次は整形と眼科。

病院が大好きのように思われていそうで、とても嫌ですが、マルファン症候群の宿命なのでしかたありません。

でも周りの人は理解できていないので、また病院?と。

あちこちの科を受けているので、昔から『病院好きの神経質』というレッテルを貼られているような感じで、嫌な思いばかりしています。

世間一般の人はしかたないにしても、病院関係者にはマルファン症候群のことはもっともっと理解して欲しいなあと思います。

見た目元気そうでも、中身は結構辛いとこ多いんだよね、私達。

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マルファン交流会

先月末、以前から気になっていたマルファン協会の『一般交流会』があって、ドキドキ、ワクワクで大阪へ行ってきました。(あ、ここも大阪ですが、田舎から町へということです。)

先月は超多忙な私でしたが、天王寺と聞いてピクピク、意を決して行って来ました。

阿倍野筋、学生時代、よくウロウロした所ですが、30年以上も経つとさすがにすっかり様変わりしてました。

近鉄百貨店には年に4、5回遊びに行きますが、車で行って車で帰るので外を歩くことはありません。

キョロキョロして、田舎から出てきた感を、モロに出さないよう気をつけながら、待ち合わせ場所へと急ぎました。

-----夜なのに明るいなあ。さすが町だあ。キレイー。

-----あれ、こんなとこにこんな店あったっけ?。ボーリング場は?

-----歩道なのに自転車がさーーっと真横をたくさん走るなあ、危ないじゃん。

-----あ、人が寝てる。踏んでしまうとこだった。寒くないの?

    (キョロキョロしすぎ!)

息子以外、同じマルファン症候群の人と会って話をするのは初めてです。

でも多少の不安はあったものの、来てくださった方は、ほとんど写真で拝見したことがある人で、ネットでもお話をしていたので、初めてお会いした感じではなく、ずーっと前からの知り合いのように感じられました。

もう、最初から最後まで、とても楽しかったのです。

超あがり症の私は、ドキドキが止まらないのでお酒は断念したのに、自分で何を話しているのか、途中でわからなくなる始末。

しかも初対面の人には猫を被っているので、普段より大人しくしていました。(゚∀゚)エヘ

でも皆さんから、本当にいろいろなことをお聞きする事が出来、とても有意義なひとときを過ごせました。

真剣なお話も多く聞かせていただきましたが、何よりとにかく楽しい会で、笑ってばかりいたような気がします。

タクシーで実家に帰り、もうすぐ日付が変わろうとしているのに、母を起こして鍵を開けてもらい、機関銃の如くいっきに、会の報告をしました。

続いて、息子にも電話をかけ報告しました。

『良かったじゃん。』 『うん。』

次の日、背中を押してくれた友人にも、朝一でメール報告をすると、自分のことのように喜んでくれました。

コンサートのお誘いを受けたのですが、交流会のことを話すと、何が何でも是非そちらへ行って!とまだ迷っていた私の背中を押してくれたのです。

本当に勇気を出して参加して良かったと思いました。

ちょっとシワが増えたかも・・・と、帰ってからせっせとマッサージをしましたが、ちょっと興奮気味でその日は朝まで眠れませんでした。(~o~)

マルファン協会のスタッフの方たちの思いには、熱いものを感じました。

マルファン症候群で苦しむ人達はもちろんのこと、突然変異で生まれた、まだ見ぬ、マルファン症候群を背負った人達をも救いたい、という熱い情熱が伝わってきました。 

私はそこのところに共感を覚えました。

自分や身内の環境改善はもちろんのことですが、マルファン症候群と言う病気を背負った全ての人の突然死を、未然に防ぐ方法の研究が速やかになされる事が、一番の課題であるはずなんです。

マルファンである事がわからなかった為に、消えてしまった命は、今この現在でも珍しいことではなく、あるのが現実なのです。

うまく言葉で表せませんが、自分がマルファンかもしれないなと思う方、また、マルファン症候群と告知された、あるいは疑いをもたれた方で、自分はどうしたらいいかわからない、もしくは病気の事をきちんと知りたい等、思いを馳せている方は、一度是非マルファン協会のページを覗いて見てください。

そして、是非ともお近くの交流会をチェックして行ってみて下さい。

きっと何か大きな得るものがありますよ。

とにかく楽しくて嬉しかったので、熱く語ってしまいました。

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大動脈解離のお話

いつまでも暑い日が続いて、ここの所極端に、寒い日がやってきたりした為か、大動脈解離で運ばれている人が、いつもの倍位になっているみたいと、病院関係の人から聞きました。

寒くなると血管が収縮して血圧が上がりやすいのですね。

大動脈解離、またの名を解離性大動脈瘤といいます。あの石原裕次郎さんや、加藤茶さんがなられた病気です。

同じ名前ですが、マルファン症候群の人がなるのとは少し違います。

何が違うかと言うと、破けてしまう、あるいは裂けてしまう血管の、部分というか、場所が違うのです。

人間の血管というのは良くできていて、バームクーヘンのような感じで、外膜、中膜、内膜の三つの層から出来ています。

普通は、一番内側の内膜が破けても中膜でカバーし、さらに中膜が破けても外膜で守り、という風にすぐに破けて大切な血液が大量に飛び出ないようになっています。

毎日大量の血液が流れてストレスを受けやすい内膜は、年とともに老化して破れやすくなってきますが、破れても中膜で持ちこたえているので、すぐには極端な変化はなく、いわゆる瘤、こぶとなって留まっています。

瘤がどんどん大きくなると、中膜も持ちこたえられなくなり、破裂してしまうと命に関わってきますので緊急手術となるのです。

しかし、マルファン症候群の人の場合、生まれながらにして、遺伝子の関係で真ん中の中膜が大変脆く、破けやすいのです。

老化も不摂生も関係なく、若くして破けてしまうことが多いのです。

内膜が破けても中膜が、という段階的な守りができないので、突然死する場合が多いのです。

とにかく血圧を下げて解離のリスクを減らし、計画手術をしていくことが一番の対処法です。

破れてしまってからでは手術も難しいといわれています。定期的な観察と破れそうになった血管をいち早く見つけ出し、次々と人工血管に置換していく。これが生き永らえていく手段になります。

次々と、って、そんなに簡単なものではないんですが、日々の医療の進歩を信じて諦めずに頑張って生きたいですね。

そして20代、30代の若い人達の突然死をなんとか無くしたいモノです。

その為にも、一日も早く難病に指定されて、マルファン症候群の研究がどんどん進み、不治の病ではなくなる日が来ることを、切に、切に願います。

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手術待機組

ただいま手術待機組に入りかけております。

いつ、血管が、ブブブブーっと膨れて手術決定が言い渡されるか、ドキドキで検査を受けておりますが、ここ数年、行ったり戻ったりで不安定な私の動脈基部君。

検査の度に数値が変わるもんだから、いったい本当の姿はどれよ!と言いたいのですが、自分の身体ながら自分の計り知れる範囲ではないのです。

毎日、嫌な薬を飲んで、お酒も我慢して、ご機嫌を取っている次第です。

今までに私は、開腹手術を2回経験しています。26歳の時と35歳の時。両方ともマルファンによる解離とかではありません。原因不明の卵巣腫瘍です。右そして左。

モデルではないですって何度も言ったのに、担当の先生がいらぬ気を使って下さって、かなり下のほうを切って下さいました。ビキニが着れる様にと。

後にも先にも、私、ビキニどころかワンピースだって着やしませんよ。

「傷がガタガタで・・・。」って先生に言うと、「えっ!僕としては今までで一番綺麗に切れたと思っているんですが・・・。」 「いえ、ホッチキスの跡が・・・。」 「ああ、これはこんなもんで・・・。」 

まるでフランケンシュタインのような、あの魚の骨状態の傷の縫い目。

抜糸の時に、「抜糸しまあす。」・・・ガチャン、・・・ガチャン、・・・ガチャン、・・・

えええー!プチプチって糸を切るんじゃないのー!ええー!

思わずバットを見た私。大きな大きなホッチキスの針が・・・。

切ったお腹はホッチキスで止めるなんて、この時初めて知りました。

2回目の手術の先生も同じことを言いました。

こっちは自棄(やけ)になって、どうにでもしてくれって気になっているのに、まだ若い身空で可哀想と思ったのでしょうか、十文字に傷が残るのは忍びないと、全く同じ所を切って下さいました。

おかげで肉が盛り上がり、ケロイドまっしぐら。(T_T)

「これでビキニが着れますよ。」 ニコニコ顔の先生。

どうしてもビキニを着せたいんですか!ってあの時は突っ込めなかった。

10年以上、左下腹部は、触ってもつねっても何も感じず、痺れたまんまでした。

一回目からおおよそ9年経っていたので、ホッチキスの針は、小さいモノを数多く打って止めるやり方に変わっていました。あの時の私の訴えを聞いて改善してくれたのでしょうか。

今現在の手術は、まだホッチキスなのかどうか知りません。

でも、今から思うと、先生は、傷はどんどん癒えていくけど、全く消えてしまうものじゃないから、治ってからも、傷の目立ち加減で、心まで傷が付かない様にしてくれたのかなあ。

お医者様ってやっぱり、そこまで考えて手術してくれる人もいるのかな。

二回目の手術から、もう、15年以上経ちますが、今はもう、どんどん医療技術も進歩して、お腹を切らなくても済む手術になっていたりします。

でも、その時の傷の痛みを思い出すと、もう二度と手術はごめんだと思うのです。

だって、私は人一倍痛みを感じやすい性質(たち)ですもん。

でもでも悲しいかな、マルファンとして生まれた以上、手術は避けて通れない試練のようです。

明日夜10時から、医龍2、第5話。先週の続きです。 

マルファン症候群の女の子の難しい手術です。

事前待機手術だと、成功率はまだ高いのに、倒れちゃいましたよね。充分な準備をしないで手術するなんて無茶です。 実際には助かる率はグーンと低くなります。

ただでさえ難しい手術なのに、-D-(バーディーバー)で輸血量が足りない設定を持ってくるなんて、どんだけハラハラさせたら気が済むのー!!って、プロデューサーに言いたいです。

マルファンの手術の怖さをよく知らない人なんですね、きっと。

ドラマなのできっと助けてくれると思いますが、自分が将来受けるかもしれない手術シーンなので、じっくり見ておこうと思います。

ドキドキは、心臓に悪いんだけどね。

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マルファンである息子 その4

<気胸二回目>

その日はまた突然やってきました。

大学生活にも慣れた秋、手術からちょうど丸三年が経とうとしていました。担当医からは、再発はあるかも知れないと聞かされはしていましたが、その記憶も薄らいだ頃で、誰も本当に起こるとは思っていませんでした。

その頃はとても寝つきの悪い私が、やっと深い眠りにさしかかった真夜中、心地よい眠りを妨げるただならぬ呼び声に、私はすぐに飛び起きました。子供の助けを呼ぶ声は、どんなに深い眠りについていても、母親ならすぐ聞き分けられるのです。

「お母さん、お母さん!・・・胸が痛くて・・・。」 (子供というのは助けを呼ぶ時、なぜか母親を呼ぶんですね。)

「えっ!。」 (;゚д゚)

マルファンを抱えていると、乖離か!と思いました。

「脈が無いねん。」

「えっ!!。」 Σ(゚д゚;)

息子には何度となく驚かされていますが、その時の私は半分寝ぼけています。脈が無かったら死んでいる、喋れるはずもない、という常識が頭の中から消えていました。その時は皆、パニクっていました。

「ホントや、脈が無いわ!お父さん!どうしよう!救急車!」

いつもめちゃくちゃ深い眠りにつくだんな様が、こんな時、間に合うはずもない。しかし、起きて私達の会話がおかしい事には、いち早く気が付きました。

「落ち着け!脈が無いっておかしいやろ。しゃべっとるし。」

パニクってる私達には聞こえません。何度も息子の手首やら胸やらに手をやりながら119番にかけました。そこには私のお馬鹿な会話が今も残っているかも知れません。(>_<)

「息子が胸が痛いと言って・・・脈が、脈が無いんです。」

「はあ?お母さん、落ち着いて下さい。心肺停止の状態ですか?」

「いえ、息はしてます。でも脈が無いんです。」

「えっ?息はしてる?・・・お母さん、落ち着いて。いいですか、落ち着いてね。」

「はい。胸が痛いと言って、血が流れてないんです。すぐ来てください。」

「・・・お母さん、すぐに救急隊は到着しますから、とにかく落ち着いてください。」

何回落ち着いてと言われたか・・・。息子と二人、おかしいとわかっていながら、何度も血が流れてないよねえと半泣きで確認しあっていました。

後で落ち着いて考えると、あまりに脈が早すぎて、感じ取れなかっただけなのです。

未だにその時のお馬鹿ぶりは、笑い話として語り継がれています。人間、パニックに陥ると、とてつもなくお馬鹿になるのですね。大事に至らなかったので笑っていられるんですけど・・・。

手術をした同じ場所がまた破けていました。だから、胸腔鏡手術も同じ場所になります。今度はもっと多く肺を切除しました。

二度目だから慣れたものでしたが、前回の手術で癒着があれば、肋骨を切っての通常開胸手術に切り替えられると言われ、ドキドキしましたが、大丈夫でした。

前回よりもっと肺を切ったのに、次の日には歩かされ、三日後にはドレーン(手術箇所から血液や体液を体外へ出す管)を抜き、縫合して、抜糸を待たずに退院と超スピード入院生活でした。

この時の手術は、何故かビデオに撮られていて、今も大学病院の医学生の教材となっているだろうと思われます。顔は映りませんが、初主演です。(^。^)

息子がこの後も、しばらくは、規則正しい生活を送ったのは言うまでもありません。

もちろん、しばらくは、です。(~o~)

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マルファンである息子 その3

<気胸一回目>

息子は高校生の時、突然、気胸になりました。

家から自転車で15分位で通える高校。身体の調子の悪い時には私が車で送迎していました。

ある日、「すぐ迎えに来て。」と電話があったのですが、様子がおかしい。聞けばずっと胸が痛く、息が苦しいと言います。

「すぐ救急車を呼んでもらいなさい。」と言ったのですが、もう学校を出てしまったから嫌だと言い張ります。電話で言い合いをしていたのですが、埒が明かず待ち合わせの場所へと車を走らせました。

うずくまっているのを見てただ事ではないと思い、その場で救急車を呼ぼうとしたら、これまたひどく嫌がり、車に乗り込んで、もう大丈夫だと言い張ります。

じっとしていたら、苦しいのは治ってきたというので、家へ帰りました。この時既に、肺は破けてしまっていたんですね。

この後、私は幾度となく雷を落とすことになり、息子は息子で、怖くて痛い思いをする羽目になるのです。(--〆)

おとなしく寝ていた次の日、どうしても行ってほしいところがある、と言うので行くと、そこはゲーム屋さん。その日発売だったゲームを手に入れると、後は煮るなり焼くなり節。あんなに嫌がっていた病院へ行くと言い出しました。

まさか、あんた、これの為に!!ヽ(`Д´)ノ

病院へ行くと即入院。

「肺が破けてるので動いてはいけません。トイレもここで。」

そんなことを聞くような息子ではありません。痛くて苦しいと言いながらゲームの為に我慢するヤツだ。看護師の目を盗んではトイレにこそっと行っているに違いない。

私もこの時、気胸というものがどんなものかわからず、じっとしていたら自然に治るという医者の言葉を信じ、また、じっとしているだけで何もしなくて治る、簡単な病気と勝手に解釈してしまっていました。後でとても後悔します。

毎日病院通いは続きましたが、息子はすこぶる元気だし、少しずつ治ってきているとものだと信じて疑わなかったのです。

例えば10段階で5位になっていたものが、6、7、8と日を追うごとに回復し、やがて10になって退院となるであろうし、その日もすぐにやってくると思っていました。

ところがなかなか治りません。動く息子が悪いのか、マルファンの為治りが悪いのか。

二ヶ月近くたって、気胸よりも、毎日撮られるレントゲンの方が、心配になってきた頃、ようやく退院の声が。

明日退院と言う知らせを聞いて、いそいそと着替えを持って病院へ行くと、数人の友達の真ん中に、寝転んでいる息子を発見。?????友達が来て寝転んでいるなんてありえない。いつもと違う息子の様子に嫌な予感が・・・。

「どうしたの?」 「ちょっと息苦しい。」

すぐにピンときた私は、詰め所へ走りましたが、先生は帰った後で週明けしか来ないといい、診てもらえません。指先で酸素を見る機械では、95%なので心配いらない、と強く言われたので不安はあったものの引き下がりました。

しかし、その後も息苦しさと胸痛は消えず、すこし熱まで出てきてしまい、退院どころではなくなってしまいました。土日の休みの間何もしてもらえず、どんどん息が苦しくなり週明け一番の検査をとても待ち遠しく思いました。

結果は、肺が入院時よりかなり縮んでいて、もう自然に治すどころではなくなっていました。

もう高校生だからと親との面談を避け、何事も息子と治療方針を勝手に決めてしまい、挙句に入院時より悪化という展開に、二ヶ月間という時間とお金の無駄を嘆き、担当医不信に陥りました。

週明けに早々病院へ行くと、酸素吸入までしています。おまけに注射器で胸の空気を直接抜くだの、だめだったら観音開きの手術になると脅かされ、私の我慢が限界に達しました。

まだパソコンも持っていない時だったので、手の空いた時に病院内の売店で医療関係の雑誌を探しました。運よく気胸の最新手術の記事を見つけ、胸腔鏡手術の事を知り、すぐに転院を申し出ました。

入院していた病院の親元みたいな付属病院に行くと、なんと気胸の胸腔鏡手術は珍しいことではなく、すぐに実行されました。手術前の説明もきちんとされ、専門の先生もいない小さい病院の医療の遅れを痛感しました。

もう留年まで何日も余裕がないことを知った息子は、手術後、抜糸直後に退院し、学校へ通うことになったのです。手術の為の入院はホント、短いものでした。

授業の遅れを、永遠に取り戻すことが出来なかったのは、言うまでもありませんが、最初の楽チンのんびり入院生活の、つけが回ってきたのだからしょうがないです。

思えば、明日退院という日、①やっと入浴許可がでたことで、風呂好きな息子は長風呂をしてしまった。この時ふさがりかけた穴が再度破けたものと推測されます。(いきなり胸まで浸かっちゃダメだと私なら言ったのに!)

おまけに友達が来て、退院だからもう大丈夫だろうと、②屋上でキャッチボールまでしてしまい、身体の異変を感じながらも言い出せなかった。

③先生も毎日レントゲンを撮っていたのに、最終日結果を見ずに帰ってしまった。

悪いことが重なり合いこの結果となったのでした。

振り出しに戻るならまだしも、人生初の手術を受ける羽目になった事は、息子にとって、大きな、心身ともに痛い経験となったであろうと察します。

女の子と違って男の子は、本当に言う事を聞きません。イノシシ生まれだからか、ドカン!とぶつかるまで気がつきません。

息子は手術のあと、しばらくは規則正しい生活を心がけていました。

ホント、しばらくは、です。                    <つづく>

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煙草

=マルファンを患ってる人は、煙草は吸ってはいけません。=

『百害あって一利なし』と、昔の人は言いましたが、まさにその通り、何も良いことはありません。自分のみならず、副流煙で周りの人にも迷惑がかかります。

マルファンの人に限ったことではありませんが、何かの病気にかかって初めて、医者に諭され、禁煙をするという人が多いですね。お義父様も血管が詰まって、あわや中風になりかけて手術をし、スパッと禁煙なされました。

しかし、だんな様はやめません。昔のことを思うと本数はかなり減っていますが、まだまだくわえ煙草で、ゴルフの素振りをしています。何回服に穴をあけたことか。(ーー;)

ニコチン依存症でやめられないんですよね。

私は、父がかなりのヘビースモーカーで、家で仕事をしていたこともあり、小さい時から副流煙をたっぷり吸って育ちました。(T_T) 

おまけに人寄りの多い家だったので、常にモクモクしていました。

だんな様と知り合ってからは、デートはいつもパチンコ屋へ連れて行かれたので、ここでもたっぷり副流煙を吸っています。

40歳を過ぎた頃に、自暴自棄になった時期があって、煙草は嫌いだけれど、『咳止めの煙草』というのを薬局で見つけ、矛盾を感じながらも吸ってみました。どうせ副流煙で肺は汚れてるだろうし。

まずい。(>_<)

でも、40年間、真面目に生きてきたのに、辛い事が多すぎるから、ちょっと悪(ワル)になってやろうと思って我慢してふかし続けました。(-。-)y-゜゜゜

キッチンドリンカーにもなってやろうと思って、頑張ってチビチビやりました。u(^。^)

結果、弱い身体が悲鳴をあげて、ボロボロの惨敗でした。

胃けいれんをおこし、朝までのた打ち回っているのに、心配かけてやろうと思っただんな様は、ガーガーいびきをかいて寝続け、一番心配かけたくない息子を、目一杯困らせただけでした。(+_+)(またやっちゃったよ)

おまけにニコチン、タールが入っていないという咳止めの煙草は、のちに思いっきり入っていたと知り、しばらく依存症にも苦しみました。

本当に馬鹿な話です。

煙草をふかしながら、息子にいつも言ってました。

「あんたは絶対吸っちゃだめよ。」

「全然、説得力、ねえよ。」

何回同じ会話を繰り返したか知れません。

ヘビースモーカーだった父は、アスベストも手伝いに行って吸っていたのもあり、肺がんでこの世を去りました。直後に兄と弟は煙草をやめましたが、すぐに復活しています。

害になって身体に悪いと知りながら、やめられない煙草の怖さを、説得力のない私ですが訴えたいと思います。

喫煙は肺をダメにします。エラスチンというたんぱく質を破壊してしまうそうです。マルファンの人は、もともとこのたんぱく質が不足しているので、身体をつなぐ組織が弾力を失って壊れやすくなります。

ただでさえ加齢と共に失われていくので、気をつけてほしいです。

私も数年前に勉強して知りました。もっと早く知っていたら馬鹿なことはしなかったのにと後悔しています。

ちなみに、私はもう禁煙できています。

相変わらず、だんな様の副流煙を時々吸わされていますが・・・。

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マルファンである息子 その2

めでたく24歳になりました。パチパチパチ。

「息子さんは突然死する病気です。」そう宣告されて17年程過ぎました。

最初のうちは何が何だかわからず、死という恐怖におののきながら、最悪の家庭環境の中、どんどん私は落ち込んでいきました。

そんな頃私は、またもや原因不明の腫瘍で開腹手術をし、2回目ということもあり、立ち直りが悪くますます落ち込んでいきました。

そして、今の地獄から早く抜け出したいと、毎晩のように、眠りについた息子の横で「死にたい。」と泣いていました。(悪い母親です。)

ある晩、同じようにシクシク泣いて、とうとう自分で自分の首を絞めてしまいました。

すると、眠っていたはずの息子が、眠い目をこすりながら、一生懸命私の手を、首から外そうとしたのです。

「死んだらあかんよ。神様はずっと見ていてくれはるから。明日はきっといいことあるから。な、もう泣いたらあかんで。ぼくが護ったるから。」

泣きながら私の涙を拭い、そう言ってくれました。眠いからほとんど目が開いていないのですが、でも力強く、私の手を掴んでくれました。

「うん、うん、わかった。ごめんね、ごめんね。」

誰も頼る人がいなくて、わずか9歳の息子に頼ってしまった私。

眠っていたと思ってたけど、ずっと私のすすり泣きを、毎晩、心を痛めて、眠りながら聞いていたのですね。

なんて馬鹿な、最低の母親だったのだろうと今でも思います。

最愛の息子なのに、その小さな幼い心を傷つけるようなことをして、本当に深く反省しています。

その日から、この息子の為ならなんでもできる、この息子のために一日でも長く生きよう!と、考え方を変えた私です。

マルファン症候群と言う病気に屈することなく、本当に心優しい子に育ってくれました。

これからもずっとずっと、元気で、頑張ってほしいと思います。

母さんはいつまでも、見守り続けたいと思います。

 

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最先端医療

この前、テレビ番組で、心臓の血管手術を局部麻酔でやっているのを見ました。(゜o゜)

神の手ももちろん凄かったのですが、患者と会話しながら、と言うのに驚きました。

まあ半身麻酔は私もお腹を切って経験がありますが、意識がなくならないので、身体の負担は軽く済むそうですが、心臓の血管となるとどうかなと驚きました。確か、肋骨を切って観音開きですか?心臓がむき出しでバコバコ動いてるのに、患者さんは大丈夫と答えてました。

その手術している様子を自分で見れるなんてことも、これから先ありえるのかなあと思いました。遠隔操作が出来る凄い機械もありましたね。

どんどん心臓手術技術が向上していくのは、とても嬉しいことです。

でも、マルファンの手術は大きな大動脈置換が主だから、半身麻酔は難しいでしょうか?

まあ、身体の負担を考えると良いことかもしれませんが、胸の中をガサガサ、骨をゴリゴリ、なんて私はちょっと・・・。私は全身でお願いします。(~o~)

私たちマルファン症候群なるものは、一度も身体にメスを入れることなく天寿を全うすることは、今の段階では少し難しいことです。あわよくば、もありますが・・・。

でも、一昔前には30歳と言われていた平均寿命も、今では手術のリスクもぐんと減り、また破ける前に手術することで随分と伸びました。無理をせず、うまく穏やかに生きる事ができれば、長生きできるようになりました。

見えないところで、たくさんの医療関係者が、日々、たゆまぬ努力をし、医療改善を推し進めて下さっています。マルファンであるがゆえに諦めていたことも、どんどん改善されていくことだろうと思います。

マルファン症候群を、社会に広く知らしめることは、これからのマルファン症候群を患う人達の大きな救いの手となるのです。

今、社会の真っ只中にいて、世間にひた隠しにしておられる方には、余計な活動と取られるかもしれませんが、どうぞ、マルファン症候群を患う人達の明るい未来のために、一つの輪となることにご賛同ください。m(__)m 

そして、マルファン症候群だと分かってしまった事で、職を失ったり、生きていく上での立場が悪くなること等の無い社会に、どうか一日も早くなりますように、それが今の私の切なる願いです。

ある日突然マルファンだと宣告された方

もう何年もマルファンで苦しんでいる方

マルファンがもとで大切な身内を失われた方

どうぞ、心穏やかにお過ごし下さい。

マルファン症候群ではないけれどご理解いただける方

どうぞ、私達を見守っていてください。

よろしくお願いいたします。m(__)m

未来の日本の最先端医療技術なるものを信じて、マルファン症候群の治療の更なる研究がなされることを願って、お互いに力を合わせて頑張りましょうね。(*^_^*)

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ど近眼(@_@)

中学の時から、別段、勉強をたくさんしたわけでもないのに、メガネをかけています。

はじめはメガネをかけるのがとても嫌でした。だからバスに乗ってはるばる、良い機械があるからという眼科に通い続けたのです。

仮性近視って言うのだったんですが、夏休みを、ほとんど眼科通いで潰したにもかかわらず、真性近視っていうことになって、私の努力は何だったの!ってすごくいじけました。

だから黒板を見るときだけかけるっていう事にしていたら、どんどん度がすすみ、とうとう、そう、牛乳瓶の底?って感じの分厚いのになってしまいました(T_T)。

穴から景色を10分~20分程覗くだけって、そう言ったんです、先生。

だから私、しっかり真面目に覗いてたんです。来る日も来る日も。

「うーん、効果なかったねえ。残念やけど、メガネやね。」

「嫌やー!」

母があちこちで聞いて情報を得た、とても良い機械。私には効かなかったが、どんな素晴らしい、目に良い光線が出ていたのだろうと、ずっと気になっていました。

またメガネが合わなくなり、久しぶりに行った眼科の待合室で、飛び込んできた会話に、私は愕然としてしまいました。

「はーい、○○君。この右のつまみをちょっと回すとね、景色がぼやけるでしょ。そしたらハッキリ見えるまでじーっと見ててね。それがはっきり見えたら、またつまみをちょっと回して、また見えるまで見ててねー。」

ええええー!

そんな説明聞いてないよー!目に光を当ててたんじゃあないのー!えーー!手動式?

私はずっとぼやけ過ぎた景色を馬鹿みたいに見続けてたよー。

しばらく放心状態の私は、一年も前の事を今さら先生にいう事もできず、ただ自分の愚かさを再認識して、家に帰ってサメザメしたのでした(T_T)。

後に、コンタクトレンズなるものに出会い、目が生き返ったような感覚に感激したのを、いまでもはっきり覚えています。

年々、視力が落ちてきて、矯正しても両目で0.8位しかありませんが、夜以外ならまだまだ運転も出来るし、何でも出来ちゃいます。

マルファン症候群は、目にも重い障害が出る人もたくさんいて、子供の頃に光を失ってしまった方もたくさんいます。でもその辛さを乗り越えて、成人し、一生懸命生き抜いて、おまけに仕事までしている人もいるのです。すばらしいと思いませんか?

ちょっと見えにくくなってきた位で、弱音を吐いてはいられないですね。

目が見えていることを感謝して、まだまだ頑張ろうと思います。(*^_^*)

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マルファン症候群の周知活動

以前、マルファン症候群の周知活動において、意見が分かれたという事を聞きました。

マルファン症候群なるものを、世に知らしめるや否や。

私個人の見解としては、自分や子供がマルファンだと、世間に知れ渡るのは、今の段階では辛いものがあります。

だからといって、マルファン症候群の周知活動を、個人的に阻むつもりは全くありません。

むしろ、自分は表に出ることは出来ないけれど、陰ながら応援し続けていきたい気持ちが強いです。

陰ながらというのは、ちょっと虫のいい話すぎると、頑張っている人達に怒られるかもしれませんが、これからの時代を生きていく子供達の為には、是非ともやらなければいけない事ではないかと思うのです。

マルファン症候群だと知れることにより、就職、結婚等、あらゆる事で差別を受けてしまうから――だから隠して就職して、結婚して、無理をして、乖離して、命を危険にさらしたとしてもいいというのでしょうか?

私は、自分は少し古い時代の生まれだから、自分のことは隠して隠してきていました。でも、子供の命を危険にさらすことは、耐えられないので、子供を守る為に少しずつ周りから伝えています。

子供が、マルファン症候群という病名だと知られて、その結果いじめられる、という事があるのでしょうか? いじめはマルファン症候群でなくても起こります。

就職はどうでしょうか? 無理が出来ない身体で、突然死するリスクを背負っているとなれば、当然敬遠されるでしょう。でも病気を隠して就職できたとしても、マルファン症候群から切り離すことは出来ない為、転職、退職を余儀なくされる覚悟はずっと必要です。しかも無理をして仕事をする為、常に命を危険な状態に置き続ける事になります。

結婚はどうでしょうか? お付き合いをしていて、マルファン症候群だという事を打ち明けて、相手が躊躇した人は、迷わず終わりにした方が賢明です。どんな病気であれ、結婚の意志は変わらないと断言した人ならば、幸せな結婚生活が送れるだろうけれども、将来のことや子供の事など、親や親戚やと周りを気にする人ならば、縁がなかったと諦めた方がいいと思います。隠して結婚しても、幸せな結婚生活は望み薄です。

だからといって、就職するな、結婚するなということでは決してありません。相手をじっくり選ぶのがとても重要なのです。

そういう事を考えた時、隠す必要の無い病気になる為の周知活動は、どんどん行なっていくべきだと私は考えるのです。周知活動によって、医療の方もどんどん進歩していくものだと思うのです。

大きな会社に就職できなくてもいいじゃありませんか。

条件のいい相手と結婚できなくてもいいじゃありませんか。

マルファン症候群である自分を、受け入れてくれる、第一に考えてくれる、心から愛してくれる、気遣ってくれる、そういう会社、そういう結婚相手を選ぶのが一番です!!

(そういう相手を選べなかった自分が、今、とても苦労しているので (T_T) 強く思います。)

患者同士のインターネットによる情報交換、そしてまた、それを参考にするお医者様などがどんどん増える中、未だにマルファン症候群を知らない患者、お医者様も多くいて、消えてしまっている命もあるのです。

これまで実際に、周知活動によりどれだけの命が助かっているでしょうか?この10年でマルファン症候群を知った患者、お医者様は数知れずいて、マルファン症候群の環境改善はかなりなされています。

そしてこれからも、周知活動により、より多くの大切な命が救われるであろうと、私は確信しています。

日本マルファン協会様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。m(__)m

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神の心を持つ医者

昨日病院に行ってきました。車で12~3分のところです。

国立という名前がついていて、数年前新しく立て替えたので、お化け屋敷(ゴメンナサイ(>_<))の面影はまったくありません。えらいもんですね。ボロボロの時は、どんな名医がいると聞いても行く気になれなかったのに、今はとても繁盛しています。

最初の紹介で会った先生は、数年で独立され、その後任の先生は、私的にとても気の合う先生で、話をするだけで、しんどさも辛さも吸い取ってくれるような先生でした。定期的に見ていただく先生ではなかったので、数回しかお会いできませんでした。

その後、何回先生の診察日に行っても、出張やら休暇やらで会えず、縁が無いとあきらめていました。ところが昨日、その先生の診察日でもないのに、呼ばれて入ったらそこにいらして、どきどき・・・してしまいました。(*^。^*)

口下手であがり症の私は、初対面で誤解されて拒否される事が多く、今まで数多くの先生とやり合っています。別に殴りあいも、ののしりあいも、喧嘩もしていませんが、少々、ガンの飛ばしあいでしょうか(^_^メ)

自分では全く、顔にでているのが気がついていないのですが、この大柄な顔と身体のせいじゃないかと・・・(^。^)

確か胸が痛くて、息も苦しくて、頭も痛くて、めまいもしてて、とにかくしんどくて、体中おかしかったはずなのに、診察室を出た私の歩き方は、明らかに来た時より軽やかで、何故か元気はつらつになっていたんです。

薬も、注射もしてないよ。

ああ、こんな先生なら毎日診てほしいなあなんて。

とにかく私の話をしっかり聞いてくれました(ここがとても大事)。そしてしっかり説明してくれました。的確に必要な検査もちゃちゃっとしてくれて、次の予約も眼科と同じ日に入れてくれました。

不安だった薬の説明とアドバイスもしてくれて、これは必要、これはいらないと全てにおいて的確に判断してくれました。

そして最後に何より、心から私の身体を気遣ってくれました。

それがほんとに嬉しかったです。(*^_^*)

神の手を持つ外科医の先生も、命を助けて凄い先生だと思いましたが、

神の心を持つ先生こそ、ほんとうに素晴らしい先生だと思いませんか。

一人でも多くの先生に目指してほしいことなんですが、無理でしょうか。

でも、私は、数少ない、神の心を持つ先生に診てもらえて、本当に幸せです!!

マルファンに生まれて良かったあなんて思った一日でした。

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いじめ対策

人間って何故か、自分より弱いものに対して、優越感に浸りたいのか、上に立っていたいのか、上下関係を作りたがりますよね。子供の時から大人になってもずっとありますよね。

子供って結構大人の真似だったり、テレビの影響だったりしますが、いじめが、集団生活が始まってくると起こってきます。既に幼稚園の頃から始まります。でも幼稚園や小学校低学年のいじめは、まださほど深刻ないじめではありません。

外見的な中傷が多く、大抵、物真似にすぎません。言ってる本人たちもただ面白がっているだけなので根っこがありません。だからほとんどの子は、大人になって物事の良し悪しの判断ができるようになった時、反省ができて言わなくなります。そしてそういう事を自分が言っていたという事を、覚えていない子が大半なのです。

怖いのは高学年以上になってからのいじめで、だんだんと重くなってきます。年齢を重ねるにつれて、いじめは結構陰湿になってきます。一対一は殆どありません。大抵は一人の子を大勢で、という事になります。それもしつこく、どんどんエスカレートしていきます。だからそうなってしまう前に手を打たなければいけません。

息子の話になりますが、やはり体型的な悪口、「ガリガリ、がい骨、ヒョロヒョロ」等の悪口から始まり、仲間はずれ、そして集団で無視とか、仲良くしていた子までも連れて行ってしまう等、徹底的にやられた時は、さすがに親子でへこみました。

一人っ子の為、息子は遊び相手が欲しくて、どんなに熱があろうが、いじめにあおうが登校拒否にはなりませんでした。これはとても救いでした。

男の子からはいじめられても、彼は女の子からは守ってもらっていたように思います。これはずっと小さい頃から、女の子には優しくしなさいと教えてきたので、それが実を結んだのかなと思うのですがどうでしょう。

男の子、女の子どちらでも、普段から学校での事や友達の事など、あまり喋らない子供はやはり、親は特に毎日観察してあげないといけないと思います。中学生位の思春期になってから気付くのは遅いと思います。

個人差はありますが、小学校低学年の時に、もう芽を摘んでおかないと後々しんどくなってくると思うのです。

私の場合、もちろんまず担任の先生に相談しました。ところがこの先生、ものすごくストレートに、クラス中に、「○○君は心臓が悪くて、死ぬかもしれないから、いじめちゃだめ!」と怒鳴ってしまいました。心臓悪くなかったらいじめていいの?と言いたいところですが、そこは若い先生ならではの発想なので目を瞑って・・・。

次の日からいじめがより大きくなったのは言うまでもありません。

いわゆるチクリというやつですね。「親にチクッたな。」と余計にいじめられる。「お母ちゃんっこ、やあいやい!」とからかわれるのです。またこれがとても恥ずかしくて悔しいらしい。息子がお母さんのせいで余計やられる。と怒ってきたら一言、バシッと。

「あほ!我が子がいじめられて黙ってられる親がおるもんかい!あんたはお母ちゃんっこの甘えん坊なんかい!」「違うわあ!」「違うんやったら気にすんな!お前は全然悪くないんやから、言いたい奴は言わしとけ。本当の弱虫はいじめるやつの方なんや。いじけたら負けやぞ。何言われてもヘッチャラになればいじめられへんようになるんや!」

母親が父親になった瞬間です。一言で済まなかったけど、その日から息子は変わったように思います。

なかなか、性格にもよるので一概には言えないけれど、いじめられるという事は、やはり相手に弱みを見せるというか、自分よりランクが下だと思われてしまうことにあると、私は思うのです。

いじめられない為には、①弱みを見せない。(めそめそしない、いじけない、すねない等)②目に見えてしまう外見的な弱みに対する言葉の暴力には、言われても平気になる。(あっ、そう、それがどうした、なにそれー、等と流して気にしない。)

マルファン症候群に限らず、病気を持った子は、その対象になりやすいところがあるので、低学年ぐらいまでに、強い心を持てるように、自分に自信が持てるように、お母さん達は頑張って子育てしてあげて欲しいなと思います。

子供が、学校であった事を何でも話す家庭環境 、これが一番大事です。

でも、男の子はどんどん秘密主義になっていきますが 、子供の表情で心の変化がわかる位、毎日子供を観察しましょう。ただし、成人になるまでね。

高校生ぐらいになると、かなりうっとうしがられますので、コッソリとね。(#^.^#)

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偉大なる母

昨日は朝から息子の運転で実家に行ってきました。車で1時間程の所ですがなかなか思うように行けません。日曜日以外は渋滞に引っかかるのでもっと時間がかかってしまいます。

こちらの家族の昼食の段取りをしてから家を出て、夕食の用意に間に合うように帰る。これがなかなかしんどいのです。家事が好きな実母、のようなお姑さんなら、「お願いしますねー。」とそれだけでOKなのに、ああ、なんて所へお嫁に来たんだ。(T_T)

実母はもう80近いのですが、私より断然元気です。

自分が遊ぶとかいう事は全然無く、いつも家族の為に、家事を一生懸命やっている人でした。私と息子の入院中も、はるばる、バス、電車、タクシーを乗り継いで何度も見舞ってくれました。私の退院後は、いつも暫くお世話になりました。

口癖は、「ああしんどい。」なんですが、毎朝5時前には起きて、神棚を拭き水を変え、ムニャムニャ手を合わせて暫く拝んでいます。そして今度は仏壇をきれいにして、また暫くムニャムニャムニャ。そして結構遠くにあるお地蔵様へ。

毎日毎日、皆の健康を、朝な夕なにお願いしてくれています。ありがたい事です。感謝感謝m(__)m

もう、反対に世話をしてあげる歳なんだけどね。たまに行くといろいろご馳走を作ってくれます。ボケ防止にまだまだ家事をするつもりらしいですが、申し訳ないなあと思っています。昨日も松茸ご飯を炊いてくれました。おいしかった(*^_^*)

息子がマルファン症候群と告知されて、暫くは言えなかった私。学校でいじめにあっている事がわかり、突然死といじめとその他、自分一人でとても抱えられなくなって悩んだ末に母に電話をした。

泣きながら、私のせいで息子が不幸な人生を送らなければならない事を打ち明けた。

息子は何度もお母さんのせいじゃないと言ってくれているが、でもやっぱり私がこんな原因不明の病気になり、その私から遺伝してしまったのだから私の責任だ。

そういって泣くと、とたんに母が、「じゃあ一番の責任はお母ちゃんや。」「えっ!!」「そんな病気にあんたを産んだのはお母ちゃんや!だからお母ちゃんが一番悪いんや!」と、泣き出してしまったのです。

母を泣かせて初めてわかりました。とてもとても辛かったです。と、同時に息子の辛さもわかりました。

息子には二度と、自分のせいでと言ってはいけないと思いました。

誰も悪くない。

誰の責任でもない。

誰のせいでもないんです。

病気を持って生まれたことは、神様が与えた試練です。でも同時に、病気を持っていることは、優しさも持っているので神様がくれた贈り物なんです。

人の痛みがわかる人間に生まれて良かったですよね。

病気だから不幸な人生とは限らないですよね。

「毎日、神様に感謝して生きなさい。」

これが母のもう一つの口癖です。

いくつになっても人生の先輩である母には、ほんと、感謝しています。有難う。(*^。^*)

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マルファンである息子

度々登場するマルファンである息子。

24年前、妊娠と同時に別の病気が見つかって、安定期に入るのを待って手術をした私。もちろんまだマルファンとは誰も知らない。

赤ちゃんが出来た喜びと、手術しなければいけないというショックが同時にやってきて、何が何だかわからないままその日を迎えました。

麻酔が覚めたと同時に激痛が走り、でも痛み止めを使うと赤ちゃんに影響すると思って、ただひたすら我慢をしました。ただ痛み止めを使うのを我慢しましたが、うなるのは我慢できずにのた打ち回っていると、看護婦さんに「これじゃあ、よけいに赤ちゃんに悪影響よ!」と叱られてしまい注射を打たれてしまいました。

つわりもひどく、術後も下腹の痛みと頭痛に悩まされ、ずっと泣いてばかりいました。これからお腹が大きくなってくるのに、お腹を切って大丈夫なのかな?赤ちゃんには影響しないのかな?不安ばかりが襲ってきました。

「泣いてばかりいたら赤ちゃんも泣き虫になっちゃうわよ。」

はっ!としました。その時初めて赤ちゃんがお腹を蹴ったのです。命を感じた瞬間でした。

思えば流産の危険があったのに、よくぞしがみついていてくれたものだと思います。手術中、私の血圧は60/40をきり、手術室はバタバタとしていました。はっきりと看護婦さんの「先生!危険です!どうしましょう。」という声が聞こえ、「あれ? 死んじゃうの?」と思いながら意識がなくなりました。

目覚めた後は痛いのなんの。(>_<) 死ぬかもしれなかったなんて思い出す間もなかったのでした。

比較的安産だった私。自分的には超難産なのに、皆が口をそろえて言う。陣痛かな?これ。と感じてから5~6時間で出てきてくれた息子。初産なのに早いと皆がビックリ。

今思えば、難産で時間がかかっていたら解離を起こして危なかったかもしれません。生まれた時から親孝行を有難うってところです。

身長は確か52センチ、体重3200グラム。

体重はあるけど背が高いからねーっと看護婦さんに言われました。お母さんに似て細長いよーって。そう隣の子達は47センチとか48センチだったから。

2メートル位は覚悟してたんだけど、今は194センチ位で止まったみたいですね。一緒に歩いていたら、息子は凄く嫌がりますが、何度もカップルに間違えられて、私はルンルンでした。(*^_^*)

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マルファンに生まれて その2

マルファンに生まれついて、もう半世紀以上生かせてもらっています。(うっ!おばちゃん(>_<)) 

子育ても終わって、さあこれから自分の好きなことを一杯やるぞ!なんて普通の人なら思う歳なのでしょうが、年々身体がテキパキさを失いつつあるのが現状です。

私は、子供のマルファン告知後に、体型が似てるからという事で告知を受けました。ですから34歳位までマルファンだと知らずに生活をしていました。

小学生の頃は、長い足を生かして走り幅跳びの代表だったり、リレーの選手だったり。(小さい人が2,3歩のところ1歩でいけるのでね。) 見た目はヒョロヒョロだけど結構走り回っておてんばさんでした。

あとは、バレーボールにバスケット、会社に入ってからはテニス、卓球、ボーリングとアウトドア派で家にじっとしていないタイプでした。

人並み以上(ここんとこ重要)に恋愛をし、そして結婚、出産をしました。

もし結婚する前にマルファンだとわかっていたならば、100%今のだんな様との結婚はありえませんでした。ゆえに、息子も授かっていないことになります。

双方の家族の反対を押し切って、めでたくゴールインした私たちは、幸せな結婚生活が待っていたでしょうか?

少なくとも私にとっては壮絶な、厳しい結婚生活が待っていました。そのお話は、また別の機会に・・・。25年って長ーいからね。

・・・あっ!銀婚式だったんだ、今年。身体の調子の悪い日が続いて、確か、私は何も食べられない状態だったのに、ケーキを買ってきただんな様。「おいしい!」とほおばる80歳をとっくに過ぎただんな様のご両親。(T_T)

結局一口も食べれなかった私を気遣ってくれたのは息子だけだった。

そう、病気や病人に対してかなり理解のない家族なんです。元気だったけど見た目に病弱な私は、我慢しすぎて本当に病弱になってしまいました。

そして未だに、だんな様のご両親には、マルファン症候群であるとカミングアウトできません。ましてや、跡継ぎの息子が私からの遺伝で同じ病気であるとは口が裂けても言えません。

でも、私と息子が入退院を繰り返していると、うすうすは気付いているのだと思います。でもマルファン症候群という病名だけは絶対に知られたくないのです。

病弱=マルファン症候群という風に理解してしまう人たちなので。

病気に理解のない家庭に嫁ぐという事は、マルファン症候群の女性にとっては、ある意味自殺行為だと私は思います。私の場合、マルファンにしては比較的症状が軽かったのでこの歳まで生きてこれたのかなと思います。

だから、結婚する前にマルファンだとわかっていたら、絶対にこの家には嫁いでいません。

では、仕事大好きな私は、おそらく結婚を諦めて、バリバリ、キャリアウーマンになっていたか・・・?たぶんまた違う恋愛をしていたと思うけど(*^_^*)

ただ、そうなると息子ともめぐり合わなかったわけで、それは寂しいと、振り出しに戻ってしまうのでした。(+_+)

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背高(せいたか)のっぽ

私は中1で既に170センチありました。今は背の高い女の人が増えているので珍しくありませんが、○十年前ですから男の子でも私より高い子は数人しかいませんでした。

ですから私は何処へ行っても目立ってしまい、一目で覚えられてしまい、悪い事ができずに(^^)ストレスが一杯溜まったまま大人になってしまいました。

高校に入ったときは172センチ程だったのですが、バレーボール部に入って、あろう事か数センチ伸びてしまいました。後悔後悔 (>_<)。

会社に入った時も「和田アキ子が来た」としょっちゅう言われるのがとても嫌でした。特に背の低い男性からは、かなり妬まれ、横に立つと嫌がられました。

測るたびに伸びていたので、しばらく測らない人生を過ごしました。

数ミリ単位ですが、強制的に入院中測られてまた伸びていたので、それ以来拒否し続けていましたが、そろそろβブロッカーのおかげ?で、骨粗しょう症になってて、縮んでいるのでは?と密かに期待しているのですが、何かおかしいですかね?

背が高くて得をしたことといえば・・・

☆満員の電車、バスで酸素を確保できたこと。

☆棚のモノを踏み台無しで取れること。

・・・え???それくらい?

背が高くて損をしたことといえば・・・

☆友達と歩いていてちょっと低い看板に、自分だけ頭激突。

☆友達の別荘に一番最後に入ったのに、自分だけ頭、くもの巣にまみれる。

☆友達と温泉に行ったら、自分だけ浴衣がちょんちょろけ。

☆友達と洞窟めぐりに行ったら、自分だけ何度も頭ゴリゴリ。

☆小さな試着室に入ったら首から上がつきぬけて顔まる出し。

☆髪の毛を背中まで伸ばして化粧をしているのに、男と間違われる。

☆しかもスカートをはいているのに女子トイレでキャーって。

・・・きりがない。

まあ、青春時代はたくさん頭を打って痛い思いをしましたが、バスケットやバレーボールが楽しく出来たので、よしとしておこう。(*^_^*)

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マルファンに生まれて

マルファン症候群の人が、もし人生の終わりを迎えた時に人生を振り返る瞬間があったとしたら・・・。

マルファンであるが故に辛かったという事が大部分を占めていて、今度生まれてくる時は絶対一生健常者でと強く願う人と、人の痛みが充分わかる、心優しい、全身の病気を持ったマルファンにまた生まれついてもいいかも知れないなと思う人とに、分かれてしまうような気がします。

これはあくまで、大人になって自分の人生を振り返れるくらい生きられた人限定なのですが、でも大部分の人はやはり生まれ変われるのなら健康体を望みますよね。でも今の人生を振り返ったら、辛いことも多かったけど楽しかったことも多かった、幸福だったよと思える人生にして何とか旅立ちたいと思いますよね。

これはマルファン症候群という病気でない人にも言えることですが。

身体がとても辛い時、なんで自分はこんな病気に生まれついてしまったんだろうと、何度枕を濡らしたか知れません。そして何度、死を考えたことでしょうか。死ぬかもしれないという恐怖におののきながら、死んでしまいたいと思うなんて、なんて馬鹿げたことでしょうか。矛盾していますよね。でも精神的、肉体的に本当に辛い時は、死んで楽になりたいと思ってしまうのです。

でもでも、せっかくの自分の人生、永きにわたって、代々ご先祖様が生き延びてつないで下さった命の尊さを思うと、粗末には出来ません。辛くても乗り越えて最後までしっかり生きる、絶対に自分の人生に胸をはれるように生きる、そして何より悔いのない生き方が出来て幸せだったと思えるように生きる。

幸い、世界中にたくさんのマルファン症候群の仲間がいます。

私がマルファン症候群だと知った17年前に比べると、本当に同じ病気の人が身近にいて、また、いろいろな情報がすぐに手に入るようになりました。私が何も出来なくても、代わりに仲間が次々と、マルファン症候群の病気改善の為に活動をしてくれています。

ありがとうございます。m(__)m

皆、頑張って生きようね。(*^。^*)

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キリンさんの身長器

梅雨の間ずっと調子を崩してて、やっと晴天!だったこの何日か、今度は暑すぎて調子が悪い、ってマルファンでなくても誰でもですよね。

でもかなり心臓に応えるような気がします。それに暑くて動きが鈍いせいか、何だかどんどん浮腫んでいるような気がするのですが・・・。

頑張ってブログを開設したのはいいのですが、思うようにやはり前に進みません。

何をどう書いたらいいのか・・・。何の為に書いているのか・・・。

まず、マルファン症候群との出会いは、今からちょうど17年前にさかのぼります。    一粒種の息子が7歳、風邪をこじらせてなかなか治らない。咳がコンコン、微熱が下がらないので、肺炎か喘息にでもなったらと小児科で診てもらうと、まだ若い先生の口からぼそぼそっと申し訳なさそうに伝えられたのが、お子さんはマルファン症候群で突然死しますよという、ショックな言葉でした。

何故ですか?治りますか?どうしたらいいですか?質問攻めの私から逃げるように部長先生にバトンタッチしたその先生は、その後一度もお会いすることなく、私たちは別の病院を紹介されて行きました。

その後、イロイロな検査を受け、何とか今のところ、心雑音は有るもののこれといった重篤なマルファン症状がでていないので、一年ごとの検査で様子見という事になり、高校を卒業するまで小児科でお世話になりました。

流石に170センチを越えたあたりからは好奇の目にさらされ、何よりキリンさんの身長器に入らなくなり、周りの視線がとても気になり、親子共々少しストレスを感じたのを覚えています。

中学生なのにキリンさんも何もあったもんじゃない。ねえ。

マルファンじゃなかったら息子はグレていたかも知れないなと思いますが、息子を見もせず、「キリンさんで身長測ってねー」って下を向いて事務的にいった看護婦。周りからクスクス笑い声の合唱にもめげず、照れながら躊躇している息子を見て、顔は笑って心は爆発していた私。「キリンさんより高くなっちゃったんで入りませんけどォ!」びっくりして顔をあげ「あらァ」とカルテをシゲシゲ。間違ってませんよ、小児科受診ですよ。ヽ(`Д´)ノ

でもキリンは嫌いじゃないから、という息子にほだされて平常心を取り戻した私でした。

その息子ももう23歳になりました。

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マルファンな毎日

突然ですが、(って2月から悪戦苦闘!)今日からブログもやっとデビューにかこつけました。(パチパチパチ!)

マルファンデビューしてから早17年の月日が流れ、今日もマルファンな毎日を過ごしています。

・・・ってどんな毎日よ!ってことで、ぼちぼち更新していきたいと思います。

毎日暑くて、血圧が88/47って、低すぎませんか?

でも最近ずっとこんな感じです。元々低いのにインデラルとニューロタンを飲んで、気温の上昇と共に下がってきました。

まだまだ暑くなるので、大丈夫かなあと心配しています。

低血圧の私がなぜ、血圧を下げてしまうかも知れないこの二つの薬を飲んでいるのかと言えば、インデラルは去年2月、どうも脈拍がいつも速くなるので主治医に伝えたところ、では、これを。と、いとも簡単に出されたため。

その後すぐに、副作用に悩まされ、一日三回を二回に減らして何とか落ち着きました。

ニューロタンは、日本マルファン協会のホームページで、マルファン症候群に有効かもしれない薬だというアメリカの情報が紹介されていたので、去年4月から変わった主治医に「ご存知ですか?」と聞いたところ、「もちろん、ここにもありますよ、出しますか?」と言われたので、「では。」と言って飲み始めたのが今年2月。

これもすぐに血圧が下がってふらりふらり。慣れるのに時間がかかりました。

基本的に薬に弱く、合わなければできれば飲みたくないのに、主治医とうまく意思の疎通が出来ずに飲むハメになってしまって悩んでいるところです。

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