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介護度3

脳梗塞で失語症になって、爺さんが死んだことや、自分の名前すら忘れてしまって、自分からはほとんど喋らなかった婆さん。

お役所から介護度3の認定を受けました。

デイサービスに毎日(週5日)行くようにした結果、かなりベラベラ喋れるようになってきました。

でも、まだまだ、自分の言いたいことと違う言葉が口からでてきて、きちんとした会話が出来ません。ずっと介護をしている私だけが、だいたい言いたいことが分かるようになりましたが、他の人はちんぷんかんぷんです。

5日の内、3日は認知症専門のところへ預けています。

朝9時までにお迎えが来て、夕方4時頃送り届けてくれます。その間、体や頭を洗うことが邪魔臭くなった婆さんを、上手に誘導し体調を見ながら清潔を保ってくれます。

少人数で雑談していることが多いですが、きちんと読み書き等も教えてくれます。

家では洗濯物を畳む事すら嫌いで、家事をほとんどしなかった婆さんですが、あちらでは張り切って手伝うようになっています。(きちんとは畳めませんが、褒めてくれるのが嬉しいのでしょう。)

そして外歩きも増えてきて、声も元のように大きくなって、私に対する愚痴やイケズも復活してきました。

忘れたことや出来ないことはまだまだたくさんありますが、行動は脳梗塞を患う前の状態にほぼ戻ってきました。

至れり尽くせりで、なんと幸せな婆さんでしょう。

私にとっては最悪の相性の姑です。嫁にきてから意地悪をされ、何度泣かされたことでしょう。

自分の失敗を私のせいにして、平然と嘘を吐き通してきた人です。私のささやかな楽しみを、ことごとく邪魔をし、潰してきた人です。

私に対しての見下す態度と、負けん気の強いところも復活し、見事に私に逆らって元気もりもりになっています。

こんな勝気な婆さんの性格は、出来ないことを注意されたりやりたいことを止められると、余計に反発して張り切り、私の 『転ばぬ先の杖』の言動は、火に油を注いでしまうとか・・・。

下の世話をしている人よりマシでしょって言う人がいますが、こんなにじっとしていない、目を離すと何をしでかすか分からない人の世話も、結構大変なんですよ。

しかも、だんな様が居る時や、預かってもらっている時は別人のようにちょっと大人しい。

朝晩冷えてきましたね。でも、婆さんはいくら注意しても何度も外へ出たいんです。時々薄着だったり、はだしだったり・・・。

最近は一回りしたら帰ってきますが、退院してからの数ヶ月、爺さんが亡くなったことを忘れているので、毎日のように探しに行こうとし、目が離せませんでした。

朝早く、私の目を盗んでバスに乗ってしまったり、夕方には山の方へ行ってしまったり・・・。ご近所の方にも数知れずお世話をかけています。警察のお世話にもなりました。

落ち着くまで、私は本当に毎日、婆さんの行動に神経を尖らせ、一息つく余裕もなく振り回されてました。

小雨が降っていてもへっちゃら。風邪を引いたら大ごとになるのに・・・。心配性の私は、そんな嫌いな婆さんの心配までして、自分の体を壊していました。

でも最近、私は頑張って、見て見ぬふりをしています。

婆さんの為を思っての言動は、反発をくらいストレスになり、自分で自分の首を絞めていたとわかりました。

このままじゃ、私が先にくたばっちゃいそうだと悟ったからです。

でも、悟ったからと言っても、なかなか鬼嫁には急になれない、悲しい現実。

『婆ちゃん、もうちょっと私の言うことを聞いとくれ~!』

って、ここで叫ぶしかないのかな。

ともあれ、預けている間は、ちょっと一息つける日もあるので、ありがたいと思っています。

どんどん進んでおりまする

何とか爺ちゃんの一周忌に間に合うように、めでたく退院出来たと喜んでいたのも束の間・・・、一週間でまたもや入院した婆さん。

今度は心臓の血栓が頭に飛び、脳梗塞になってしまいました。

幸いすぐにおかしいと気がついた為、大事に至りませんでしたが、一時的に失語症になりました。

3日で『お腹すいた。』と言いましたが、以前のお喋り婆さんの姿はありません。

認知症が一段階進んだ感じでしょうか。

爺ちゃんが死んだこともすっぽり忘れ去っています。

自分の娘や息子、孫の名前はやっと出てきましたが、私のことはチラっと見て、『・・・知らん。』と言います。これはわざと言ってるのじゃないかと私は思っています。

まだ完全に頭が崩壊したのではなく、一時的に記憶が欠落したり認識が出来ない状態で、自分の名前も出てきません。

でも、だんだんと元の性格が出てきているので、薬は飲み込むまで見ていないとコソっと捨ててしまいます。

私は何度も、『はいはい。』と良い返事をしながら、性格の悪いことをしている婆さんをずっと見てきたので騙されませんが、病院の看護師さんは、何度説明しても、あの気前の良い返事に騙されて大ごとになっています。

4度の入院でかなりスリムになった婆さんですが、退院間近のある日、ちょっとプックリ。

私はすぐにゴミ箱を見ました。

そこには朝、昼2回分の利尿薬が・・・。

『だから、ニコニコと返事は良いけど、ちゃんとは出来ませんよって何度も言ってるじゃありませんかぁ。寝たきりの人に比べたら何でも出来そうに見えますけど、認知症なんですってばぁ。』

言葉少なくなっても、『はい』とか『うん』とかは、いつも言ってるんですが、全然聞こえていなくても何でもうなづくんです。

『婆ちゃん、これ食べる?』『うん。』『いらん?』『うん。』『どっちぃ??』『うん。』

こんな調子です。

『薬 ちゃんと飲んでね。』と看護師が手渡す。 『はい、わかりました。』 と笑顔で受け取る。看護師が去る。

キョロキョロ・・・ポィッ(´゚д゚`)ノ ⌒ ゚

私は連続4日間、ゴミ箱に薬を見つけました。さすがに4日目、むくんだ婆さんを見た時は、正直、救急病院の看護師はマヒしているんだと感じました。

今後このようなことは絶対ないように勤めますって、3回ともそれぞれの看護師が謝りに来たけれど、実際は担当が毎日替わるから、全ての看護師が担当するまで続くんだろうな。しかも4回目の看護師は、謝るどころか私を睨んだし・・・。

2週間経ってもワーファリンの効きが定まらないと先生が仰ってましたが、飲まずに捨てた時があるとは、先生に報告はされてないのだろうな。

このままでは認知症もどんどん進むしってことで、お家に連れて帰ってきました。

仏壇の爺ちゃんの写真を見たら、死んだ事思い出すよねって・・・。

でも、甘かった。

毎日、夜になったら 『帰ってけえへん。あっちに行ったんやと思うわ。』 と、悔しそうに言い、

朝、起きたら、『早よからグルっと周りに行ったんやわ。』 と さも自分を避けられているかのように言います。

あんなに大喧嘩ばかりしてたからねえ。爺ちゃんはちょっと帰ってこないと思うよ~。でも、婆さんの言うあっちってどこなんかしら??ちょっと気になるわ。

さて、婆さんは、いつになったら爺ちゃんと会えるでしょうか・・・。

しっちゃかめっちゃか

今、我が家はタイトルどおり、大変な状況です。

今年に入って昼夜逆転してしまった爺さんは、やはりどんどんおかしくなり、四六時中何かを食べる生活を続けたせいか、4月に入って三度の食事を残すようになり、4月の終わりに血まで吐くほど戻して以来、食べることを拒むようになってしまいました。

半年ほどで8キロも痩せ、とうとう自力では立てなくなってしまいました。

・・・・・なのに、怒る、怒鳴ることは忘れない┐(´-`)┌

体が思うように動かせないので、余計に苛立つのか、認知症の悪化がそうさせるのか、わがまま言い放題です。

そしてご存知の通り、婆さんも認知症が進んできており、相変わらず口喧嘩が絶えない毎日です。

昼も夜中も、トイレに行くので起こせと怒鳴り、起こしてやっとの思いでトイレにたどり着くと、出ない、もう寝る。そして寝室へ連れて行き、寝かせて10分もしないうちに、また起こせと大声で呼び続け、私たち家族は、まさに疲労困憊、疲れ果てておりました。

一ヶ月に及び、あちこちの病院を受診して出た結論が、硬膜下水腫と胃潰瘍。

アルツハイマーにしては、人格はさほど変わってこないし、婆ちゃんよりまともな時があるのでおかしいとは思っていました。

硬膜下にたまった水が、脳を圧迫し続けて、どんどんさらに萎縮していたのでした。

その最中、婆ちゃんによる、自身がコンビニへ行きたいが為の、食べ食べ攻撃に遭い、昼夜、期限の切れた怖ーい饅頭を食べさせられ続け、さすがに胃痛を知らない爺ちゃんも、胃が悲鳴を上げたのでした。

ところが・・・。

結論を先に言うと、爺ちゃんはやっと入院しています。

その入院にこぎつけるまでに、一ヶ月もかかりました。

以前も言いましたが、しんどい~!!とわめくので病院に駆け込むと、医者の前では元気になること数回。いつもの病院は、またか!と、時間外の受診はもちろん、入院さえも拒否されたのでした。

どんどん痩せて衰弱していくので、親戚中からは『なぜ入院させないのか。』と何度も言われ続けました。

私たち家族は、皆、入院させたいんです。でも認知症なので元気があると病院行きを嫌がるし、しんどくなって病院に連れて行くと、医者の前ではカラ元気を装う爺ちゃん。

病院側は、他の患者に迷惑がかかることが分かっているので、認知症の人は入院させてくれないんです。

おとなしい静かな患者なら良かったのですが、聞き分けのないやかましい患者は、どこも取ってくれませんでした。

唯一入院OKが出た病院は、院内感染や虐待などで新聞に載ったところでした。

看護師は皆、余裕のない表情で、テキパキすぎるぐらいの俊敏さで仕事を片付けていき、家族の希望や話など、落ち着いて聞いてくれるはずもなく、私達は仕方がないと諦めて家路に付いたのでした。

やはりその日から、爺ちゃんはわめき倒し、怒鳴りまくり、暴れました。

『そんな時は薬を使います。暴れると怪我をするので手足も縛ります。承諾していただけない場合入院できません。』

泣く泣く同意書にサインをしました。

入院して2週間が経ち、爺ちゃんはずいぶんおとなしくなりました。というより点滴だけで何も食べていないので、衰弱しているのです。

入れ歯もはずして、顔立ちも変わってしまいました。

やっと全身の検査をしてもらえたら・・・。腫瘍マーカーが桁違いの数字。肝臓や肺に既に無数の転移がありました。

もう顔も見たくない!もっと苦しめばいい!とずっと悪態をついていた婆ちゃんでしたが、さすがに余命を聞いてから、少しはおとなしくなりましたが、今日からデイサービスに行けることになり、張り切って行ってしまいました。

病院で目が覚めると、婆ちゃんの名前を大声で呼ぶ爺ちゃんが、ちょっと気の毒です。

爺さん 昼夜逆転す

マルファンの記事よりも、認知症シリーズの記事の方が多くなってしまうので、ちょっと心苦しい為ポツポツとしか書けなくなってしまいましたが、何でもいいから書いてほしいと言って下さる方もいて・・・。

心苦しいながらもなるべく明るくお伝えしていきます。

・・・・・・・・

シャカシャカシャカシャカ・・・・・ジャー・・・・・ブクブク

夜中の2時を回った頃、物音に気づいた息子が何気に廊下を覗いてみると、廊下の端で爺さんが歯を磨いておりました。

『あれ?爺ちゃん、まだ夜中やで。』

『おう。』

程なく婆さんが起きてきて、

『あんた、こんな夜中に起きて、何してんのん。』

『もう、寝てられへんのや。』

二人で言い合いを始めたので、そのまま息子は寝てしまいました。

翌日、夜中に爺さんが起きてしまって寝られなかったと婆さんが騒いだのがもう一月ほど前です。

あれから誰が注意をしても、一旦目が覚めると起きて歯を磨き、居間の電気やテレビ、そしてストーブにコタツ、全てをつけて皆が起きるのを待つようになりました。

そして今日、とうとう新記録、夕方6時半に寝たはずの爺さんですが、私が風呂から出るともう起きてました。

なんと夜9時半起床。3時間です。

今日はだんな様は会社も休みで、夕方から村の寄り合いに行ってしまったので、私は久々に早い時間にお風呂に入れたのです。

どうしよう!!

といっても、どうしようもありません。

説き伏せたり、言って聞かせることはできないのです。特に私が言うと機嫌が悪くなります。

時々、あまりにお腹が空くと婆ちゃんを起こして怒られ、喧嘩になっているようですが、私は沈黙を保ちます。

睡眠不足で体を壊さないかって?

大丈夫。

朝も昼もたっぷりコタツで寝ています。

昼夜逆転しているんですね。

今のところおとなしくしているので、しばらく見守ることにします。

消えたお金

ご挨拶が遅くなりました。

皆さん、明けましておめでとうございます。

今年も、どうぞよろしくお願いしますね。

・・・・・・・・・・・・

 初っ端からこんな話題で申し訳ないのですが、今の私は、毎日、どんどん進み行く年寄り達の認知症との戦いで、頭がいっぱいになって、ブログをなかなか更新できませんでした。

寝ても覚めても、毎日何かしら、しでかしてくれる婆さんに手を焼いておりました。

年末の慌しい中、お金を下ろしてくれと頼まれ、定期を解約し、利息とともに入った封筒を渡しました。

大金だから無用心なので、預かろうかといいましたが、頑なに大丈夫というので渡したのです。

明朝、起き抜けに婆さんが走ってきました。

『○ちゃん、昨日預けたお金、おおきに。もう返してくれるけ?』

Σ(・ω・ノ)ノえっ!

ほらきた~~~!!!

『お婆ちゃん、昨日全部渡したよ。』

『貰ってない。』

大騒ぎになりました。

認知症を患った家族がいる人に、『お金が絡んできたら厄介よー』って聞いていたので、私は極力お金を受け取らないようにしていました。

念を押して渡したにもかかわらず、記憶が消えてしまうのだからお手上げです。

自分で隠しておいて思い出せないのだから、本当に厄介です。

旦那様とあちこち探し、やっと見つけました。

怒った旦那様が、数十万だけ渡して残りを預かることにしました。

ところがその翌日から、娘にやりたいからと、もう少し、もう少し・・・。

そして一週間も経たないうちに、渡したお金がもうない、娘にもやっていないというのです。

流石に○ーソンに行くたびに、数万単位の買い物をしたとは考えにくく、消えてしまった数十万のお金の行方は謎のままです。

厄介なのは、私が犯人にされてしまって終わることです。

もう慣れましたが、やり場のないこのやるせなさ・・・

耐えるしかないのかな(u_u。)

・・・・・・・・・・・・

 今年も、愚痴ブログになりそうです。ごめんなさい。

なんとか今のところ、元気で正月を過ごせました。

今年も楽しいこといっぱい考えて、負けないように頑張りまーす\(^o^)/

幸せのポリープ

題とは裏腹に、沈みきった今日この頃の私です。

先日、胃痙攣を起こしてしまいました。いつもの理由です。どちらかが倒れるまでのバトル・・・なんて、いつも私しか倒れません。

もうどうにも体がついていけなくなったり、精神が正常を保てなくなった時、私は自動的に発病してしまいます。

もう死んじゃうかも・・・みたいな恐怖感に襲われるほどの痛み。

死にたいという自分と、もう死んでもいいという自分と、死んだらだめだという自分と、死にたくないという自分が、頭の中でぐるぐる回りながら葛藤しだすと、痛みとなって私を襲う。

早い話が、ストレスっていうやつですね。

ストレスってすっごい怖いんですよ。負けたら終わりだから。

まだ私の中には、こんな大きなストレスに負けたくないという意思があるようで、無意識に毎日戦っているのだと思うのです。

その抵抗が自身の体を痛めているんだと、最近になって気がつきました。

でも気がついても、まだ予防を出来ない段階なのです。

だから、またやっちゃいました。勝てない相手だとわかっているのに。

普段低い血圧が、どーんと上がり、胃のど真ん中を直撃。

いつもの病院へ行くとまた入院なので、ひたすら我慢し、少し実家へも避難しました。

体調がマシになったので、胃カメラをのみました。鼻から胃カメラ初体験。

ポリープが7個ほどから10数個に増えていました!(゚ロ゚屮)屮 気のせいか大きくなっているし・・・。

抗不安薬を勧める先生は、私の顔色を見ながら、ひたすら綺麗な胃だと連呼し、でっかいポリープや散らばったたくさんのポリープを、不安そうに見つめる私に向かって言いました。

『これはね、ぜんっぜん、大丈夫なポリープだからね。』

『はぁ。』(鼻とのどに麻酔をかけられたとはいえ、頭はボーっとしてないぞ。ごまかされないぞ。)

『むしろ、このポリープがあると喜べるんだ。』

『はぁ?』(んな、ばかな。)

私を不安に陥れないように気を使ってくれているのか、先生はやたら明るい。

どうやらこのポリープが出来ている人の胃には、潰瘍をつくるピロリ菌がいないそうなのだ。

『このポリープは、幸せのポリープって言うんだよ。』

ほんまでっか!!

突っ込みたくなったが、鼻に管を突っ込まれている身での、関西人の突っ込みは、流石の私も出来なかった。

悪玉コレステロールを指摘され、逆流性食道炎のお薬を貰った。

認知症老人相手の戦いは、いつ終わりが来るだろう・・・というより、私の体がいつまで持つのだろう・・・。

ドーソン

ドーソンって、さて、何のことでしょう?

・・・・・

婆さんは今日もいそいそと身支度をして、私に見つからないように、朝早く自転車に乗ってどこかへ行ってしまいました。

行き先は聞かなくても分かっています。家から一番近くにできたコンビニです。

家からその店は、なだらかな坂になっているので、田舎道を颯爽とすべるように走って行きます。

何度、自転車は危ないからと注意をしても聞きません。車は避(よ)けてくれると信じていますし、自分はすこぶる元気で若いと思っています。

でも、過去に一度、ひどくこけて入院もしています。

だけど婆さんは、数年前にできたコンビニが楽しくて、毎日行かずにはいられないのです。

ほとんど毎日、朝の会話は決まっています。

『○ーソン行ってくるわー。』

『あれ?婆ちゃん昨日も行ったやん。爺ちゃんのクリームパンならまだあるよ。』

『うん・・・、今日はバナナを買いに。』 フムフム、いつもの返事だ。

『あ、バナナもあるよ、どっさり。』 フフフ、困っているぞ。

『うーん・・・。爺さんのおやつを買いに。』 おや、そうきたか。たくさんおやつはあるのだが、これ以上逆らうと怖いのでやめておこう。

『あら、そう・・・。じゃあ、気をつけてね。』

どうしても行きたいのがミエミエで、少し前までは、何とか言って聞かそうと必死だったが、もう疲れ果ててしまいました。こっちの心配心などお構いなしに、どんどん我が強くなる一方で、ああ言えばこう言うので、根負けしてしまいました。

『どうしても行きたいのに、唯一の楽しみを奪わんとって!』

止めるとそう言って、ワンワン泣き出す(嘘泣き)のだからどうしようもありません。

行きはヨイヨイ、帰りは・・・で、行きが坂を滑り降りた分、帰りは登るのだからしんどいに決まってます。半泣きでしんどいしんどいと自転車を押して帰ってくるくせに、一晩寝ると忘れて、懲りずにまた行くのです。

確かに買い物は女の楽しみなのは分かりますが、大怪我をする確立が非常に高いと思うので、ついつい私は引き止めてしまいます。その引き止めが煩わしいようで、時々こっそり逃げるように家を飛び出していくのです。

84、5歳にもなって、雨が降る日も傘を差し自転車で走る年寄りなど、そうざらにはいませんよね。私だってできやしません。

かわいそうに、雨降ってる日ぐらい送ってあげたらいいのに。

しまいに轢かれはるよ。気をつけてあげやんと。

あんなどっさりの荷物、しんどそうに坂を自転車押してはったわ。

ご近所さんが皆、心配してくれましたが、一年も経つと、誰も私に言わなくなりました。

毎回大袋いっぱいに買って、日課ほどにコンビニに行くのを見て、ちょっと様子がおかしいとわかったようです。

婆さん専用座敷は、コンビニで買ってきたものであふれかえっています。

ペットボトルジュース、チョコレート、のど飴、100円スナック菓子などは常時20~30個ずつはあり、来る人来る人にあげているが、また買ってくるので減りません。

プリンやゼリー、饅頭、シュークリームなどは、冷蔵庫で眠り続けた後、日の目を見ることなくゴミ箱へ破棄されたもの、数知れず。ああ、もったいないことです。

二つの冷蔵庫は常に満タン状態です。

もう誰にも、悪運強き婆さんを止められはしないのです。

『お爺ちゃ~ん、朝早くから婆ちゃんはどこ行ったの~?』 時々、爺さんの記憶力を確かめる為、わかっているけど聞いてみます。

30分以内なら覚えていて、お菓子を頬張りながら、自信たっぷりに答えます。

『ああ、ドーソンや。』

婆さんは今日も袋いっぱいに仕入れてきたようで、様子をうかがっていたら、また大体同じようなものを買ってきたらしく、奥の座敷にこそこそと隠しに行きました。

ああ、我が家がコンビニになる日は、近いかもしれません。

カエルの合唱?

ケロッ、ケロッ、ケロッnote

6月に入って田植えも終わり、毎日カエルがうるさいですね~notes

さて、今年の2月、婆さんが2週間あまり入院しました。

急性胆のう炎でしたが、危ないところを助けてしまい・・・(いやいやcoldsweats01)、見事復活してパワーアップしてしまいました。

5月に入って爺さんが・・・。

『お腹が気持ち悪い』 『しくしく痛い』『しんどい』

爺さんは今年に入ってから、3度も急にしんどくなったり痛みを訴えます。

もともと我慢を知らない人ですから、突然不調を訴え、病院に走ることはよくあります。

夜中であろうがお構いなしに大騒ぎをすることもあり、私はかなり振り回されてきました。

最近ではその全てが、大したことではなく終わっています。

なので私も慣れてきたというか、驚くこともなく平静でいられるようになり、半分相手をしない方法に切り替えていました。

その日も、友人に私の誕生会をしてもらうため、もう出かける寸前でした。

車庫まで追いかけてきた婆さんを振り切ることはできず、また相手をしなければいけませんでした。

家の中に戻ると、爺さんがしんどいと顔をしかめています。

観察するといつもと同じような気がするので、しばらく寝て様子を見るように説得しましたが、婆さんが病院病院とわめきます。

幸い、息子が家に居て、自分が病院に連絡をして連れて行くから、出かけておいでと言ってくれました。

お店を予約していたので、食事を終えたらすぐに病院に走るからということで、息子に任せて家を出ました。

せっかくの友人とのお食事も、のどを詰めそうな勢いで終え、急いで病院に走りました。

ちょうど時間外で待たされ、診察室へ呼ばれたところへ駆け込みました。

入院かな??・・・・・・

中にはニコニコ顔の年寄りと、疲れた様子の息子がいました。

『終わったよ。』

『(。´・д・)エッ』

その後、息子は仕事に行くので交代し、私は若い先生からみっちり油を絞られたのです(T_T)

診察の時間外に、電話をして了解を得て、救急扱いで診てもらったのです。

『頭が痛い、お腹が痛い、めまいがする、気持ち悪い、足がだるい、手がしびれる・・・。』などと言っていた爺さんが、車に乗った途端、ケロッとしてもう治ったと言ったそうです。

おまけに、病院が脳梗塞の疑いかもしれないので診ると言ってくれたのに、先生の前に行くのも元気で歩き、どこがしんどいですか?の質問に、どこもしんどくないと答え、すこぶる元気で頑張ってます!と、アピールしたらしいのです。

認知症ですもん(-_-)

あんなにわめいた婆さんも、爺さんがケロッとした途端、自分もケロッとしてドライブ気分・・・。

『今後、このような事態になっても、ここへは来ずに近所のかかりつけ医にご相談ください。』

お騒がせ認知症のお相手は、やってる暇がないということです。

ごもっともです。

私だって、相手したくないんですよ~、先生。

もしものことがあったらどうしてくれるの?って言われたら、嫌でも連れて行くしかないんですよ~。

6月に入って、もう3回も病院へとせがまれ、右往左往させられていますが、様子を見る間もなくケロッとするのです。

何がどうなっているのやら・・・despair

じっちゃんや~~~

今日で6日目になります。

婆ちゃんが入院してしまいましたshock

もう何度目の入院かなぁ? あ、でも元気です。

ただでさえ忙しいのに、毎日病院行きの用事が増えました。

『行ってきます~。』

『どこへや。』

『婆ちゃんの病院やよ~。』

『そうか。入院しとるんか。』

『そうよ。(さっきも言ったけど)』

・・・・・

・・・・・

『ただいま~。』

『おう。・・・しかし△□子(婆ちゃん)はどこ行ったんや。遅いなあ。』

『えっcoldsweats02 婆ちゃん入院してるから、帰ってけえへんよ。(昨日も言ったけど)』

『そうか。入院しとるんか。』

『そうよ。(もう、いいかげん覚えてね~)』

・・・というわけで、婆ちゃんが入院したことをやっと覚えた爺さんは、毎日病院についてくることになりました。

・・・・・despair

ついでに愚痴っとこう。

私は今、風邪引きがこじれて、声が出しにくいのに、何回、同じ事を言わないといけないの~~~weep

しかも、朝4時から起きて、私が5時に起きるのが待てないと、お菓子を食べてしまうのやめてね~~~。

で、夜6時に風呂に入ったら、即寝ちゃうのやめてね~~~。また、朝4時に起きちゃうでしょう。

一日3回ぐらいだったおやつ、6回ぐらいになってるし~~~。

病院に行く用意(たぶん着替えるんだと思う。私には同じ服を脱いだり着たりしているようにしか見えないが・・・)を、いくら暇だからって、昼前からして外で待つのはやめてね~~~。ご飯ちゃんと食べてからだよ~~~。

疲れる、疲れる・・・sad

婆ちゃんが、『一緒に入院したら、世話ないのにねー。』って言う。

目を細めて笑っておく。

そうねーー♪♪

・・・なんて絶対言っちゃダメ~~sign01bearing 大変なことになるわん。

『おじいちゃん、どっこも悪くないから、入れてもらわれへんな~。残念やな~。』

二人とも笑ってる。よしよし。

『ほんまに(私も)残念や~。』・・・bleah

記憶の塗り替え

早いものです。もう二月になってしまいました。

昨日は節分。

今年こそは巻き寿司を巻こうと、意気込んで早くから材料を買っていたのですが、友人からの久々の誘いに断れず、つい話し込んで夕方になってしまいましたcoldsweats01

あわてて帰宅し、洗濯物を取り込んでから、近くのスーパーに走りました。

毎年どんどん種類が多くなって、値段の方も高くなっていたような気がします。

豆まきは息子の役目ですが、いつもより息子の帰宅が遅くなりました。

早くに寝てしまうので、待ちきれない年寄り達に、先に豆を分け与えました。

程なく息子が帰宅し、台所で巻き寿司談義やらをしながら食べてました。

すると、寝たはずの年寄り達が、大声で喧嘩を始めました。

やれやれ・・・despair

テレビもつけて、聞こえないフリしよっと・・・gawk

・・・ガラガラ、ガシャーンimpactsign03

ガラスの砕け散る音が、家中に響きました。

もうやだ~shockshockshock

どうするどうする?これは聞こえないフリはできないよね。

おそるおそる台所の戸を開け、廊下を覗くeye

と言っても、私は暗くて見えないが・・・。

大声で泣き喚いてないってことは、怪我してないよね。

こんな時、係わり合いになると、後で大変な目にあうのだ。

家の年寄り達は、時間が経てば、記憶が消えちゃうんだから。

以前もえらいこっちゃ!と飛んでいって、二人を軽ーく説教した。

危ないから怪我でもしたらあかんやろ、喧嘩しなや!と、やんわり(のつもり)。

ところがどっこいsign02

一晩寝たら、爺さんの記憶はまったく消え、婆さんは私に注意されたことだけ覚えていた。

自分たちが喧嘩をして、物を壊したことなど綺麗に忘れ去っており、割れたコップと私への怒りだけが残ってしまった。

いくら説明してもだめだった。

記憶は見事に塗り替えられてしまったのだ。

恐るべし認知症という名の魔物よ。

以来、私は極力、喧嘩が始まると逃げる。

昨日は幸い、息子もだんな様も帰宅していた。

だんな様ならいくら怒っても大丈夫だろう。

台所から一歩も出ずに、成り行きを見守った。

翌日、やはり二人とも、なぜガラス戸が割れたのか覚えていなかった。

そして私は翌朝、まだジャリジャリと、細かいガラスの破片が飛び散る廊下を、念入りに掃除機をかけなければいけなかった。

ホントにいらん用事を増やしてくれるなぁangry

掃除を終え、腰が痛いとポンポンたたいていると、婆さんの声が聞こえてきた。

『○ちゃんがあのガラス割ったみたいやわ。掃除機かけてる。』

『そうか、○ちゃんか。』

えええーーcoldsweats02  ち、ちがいますぅーweep

昼からも一生懸命説明しましたが、無駄でした。

『自分でやったのに、人のせいにして、やらしい子やな。』

ああああ、もう既に、塗り替えられてしまった記憶は、消せなくなりました。

結局今日も、私は報われませんでしたcrying